『福田村事件』「劇映画とドキュメンタリーに大きな違いはない」という森達也監督最新作

『福田村事件』「劇映画とドキュメンタリーに大きな違いはない」という森達也監督最新作

2023-08-29 10:07:00

『福田村事件』は、オウム信者たちを捕らえた『A』『A2』をはじめ、『FAKE』『ⅰ~新聞記者ドキュメント』などドキュメンタリーを監督してきた森達也監督の初の劇映画作品だ。

と紹介したが、「劇映画とドキュメンタリーに大きな違いはない、映像素材のモンタージュという意味では同じだから」という森達也監督。そして、ドキュメンタリーと劇映画を区別するものが、フィクションかそうでないかであるならば、前提として、ドキュメンタリーの被写体や事実は嘘をついていない、虚構ではないということになるのだが、人は嘘をつくし、リアルと思っていた現実が仕組まれたリアルというのは、「事実は小説より奇なり」というようによくあることだ。

だとすれば、『福田村事件』は映画監督森達也の新作だ、というのが正しい紹介だろう。

ただ、ドキュメンタリー制作では、目の前の事象がリアルかフェイクかは別として、時勢や地勢を捉えるには限界がある。ある事象を物語として描くには、複眼的要素が必要だ。その点に関して森監督はこう語る。

「群像劇だからこそポリフォニー(多声性)は重要です。ごく一般的な映画の作りとしてこの史実をとりあげるとき、被害者側にウェイトを当然のように置くと思います。その結果として凶悪な加害者と善良な被害者の構図が完成する。でもそれは僕の意図とはまったく違います。ある条件が重なったとき、善良な人たちが善良な人を大量に殺す。そこはまさに『A』の撮影を通して僕が学んだことなので」。

その脚本を練り上げたのは、新井晴彦、佐伯俊道、井上淳一らの3人で、森監督はその状況を「若松プロのグループに放り込まれた転校生の立場」と自身の立場を評する。

以下、DICE+では、この映画の企画の成り立ちについて、森達也監督と映画ライターの森直人氏のオフィシャルインタビュー対談の一部を掲載する。


森監督:僕はそもそも立教(大学)時代には8mmで自主映画をこつこつ撮っていたわけです。当時はドキュメンタリーなんか全然眼中になくて、自分で脚本を書いて、監督もして、役者もやって。とにかく映像作品としてはドラマしか頭になかった。でも入社した番組制作会社がたまたまドキュメンタリー専門だったから、その延長の成り行きで今に至っているだけなんですよね。でもおそらく多くの人が思うほど、劇映画とドキュメンタリーに大きな違いはない。映像素材のモンタージュという意味では同じだから。

――そもそも達也さんのドキュメンタリーはフィクショナルな作品組成の志向が強いように思います。スターサンズの河村光庸プロデューサー(2022年6月11日に急逝)と組んだ『i-新聞記者ドキュメント-』(19)も、元々は劇映画でのオファーだったらしいですね。

森監督:だから次は絶対、劇映画を撮りたいという気持ちが高まりました。『i-新聞記者ドキュメント-』のあと、まさにそのタイミングで福田村事件を映画化できないかなと思い始めた。実はテレビ時代にこれをドキュメンタリーにしようと動いたことがあるんですけど、結局頓挫して、以来自分の中でずっと塩漬けにしてきたテーマだったんです。「そうか、自分にはこれがあるぞ」と思い立ち、実際に企画書を持って会社回りを始めたんですよ。

――クレジットでは脚本も務められた荒井晴彦さんの企画になっていますが、この経緯は?

森監督:そこは日付も明確で2020年2月4日なんですけど、『i-新聞記者ドキュメント-』がキネマ旬報ベスト・テンで文化映画部門の第1位に選出されて、同じ年に荒井さんの監督作『火口のふたり』が日本映画総合の第1位で、授賞式で一緒になったんです。同じ控え室で、「ああ、荒井晴彦がいるぞ」とか思って。それまで面識なかったんですけど。

――ガチの初対面だったんだ。意外ですね。

森監督:やっぱりこっちはドキュメンタリーの人間なので、劇映画の人たちとそんなに付き合いがないんですよ。もちろん荒井さんの名前は存じ上げていたので、最初は「なるべく目を合わさないようにしよう」と思ってたんだけど(笑)。まずはこちらから軽く挨拶したのかな。そうしたら荒井さんが「お前、福田村事件を映画にしたいって考えてるのか?」って言うんですよ。「ええ、そうですよ」って答えたら、「俺たちもそう思っているんだよ」って。じゃあ一緒にやろうかと。

――そこで異質の場所にいたお二人が合流したと。美しい話じゃないですか。荒井さんの「俺たち」とは脚本チームの佐伯俊道さん、井上淳一さんということですか。

森監督:最初は荒井さんと井上さんから企画がスタートしたと聞いています。当初は『戦争と一人の女』(13)からの流れで、井上さんが監督する予定だったようですから。二人がなぜこの事件を知ったかといえば、中川五郎さんの楽曲「1923年福田村の虐殺」をたまたま聞いたから。そして中川さんは、僕の著作『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(03/晶文社・ちくま文庫)の中に入っていたエッセイ(「ただこの事実を直視しよう」)を読んで、福田村事件を知ったと公言されていて。だから荒井さん側も僕のことが気になっていたみたいで、すでに出来上がっていたスタッフたちの座組を受け入れてくれるなら、監督として迎え入れたいということになりました。

――中川五郎さんのプロテストソングは「関東大震災朝鮮人差別三部作」と銘打たれた連作の最初に作られた一曲ですね。1923年(大正12年)9月6日の福田村事件へのアプローチは、森達也監督のフィルモグラフィー解題でもある著作『FAKEな平成史』(17/改題『FAKEな日本』角川文庫)から、その源流を求めていくような流れかなとも思います。最初に関心を持たれたのは?

森監督:『A2』(01)を公開した翌年の2002年、千葉県野田市で慰霊碑を作るという小さな記事がたまたま目に止まり、すぐに現地に行ったけど、ほとんど資料がない。でも調べられる範囲で概要はわかってきた。当時の僕はテレビディレクターでもあった。番組にできなかと考えて各局の報道担当の人にはプレゼンしたんだけど、被差別部落問題に朝鮮人虐殺という二つのタブーが重なるわけで、結果としてはどの局もダメでした。でもずっとあきらめきれなくて。……僕にとっての大きな転機というか原点は、最初の映画『A』(97)なんです。

最初にオウム真理教の施設に入ったとき、個々の信者たちが穏やかで優しいことにびっくりしました。でも組織としてはとても凶悪な事件を起こした。こういった例は世界中の歴史において、至るところで見られますよね。なのに、例えばナチスの罪と真摯に向き合い続けているドイツなどに比べると、日本はむしろ自分たちの失敗から目を背けたがっているように思える。人間とはどういう生き物なのか……それを個と集団の相克から検証し続けることは僕のライフワークです。だから福田村事件にも必然的に引き寄せられていったのかもしれない。

――物語設計についてお聞きします。ドラマとしては群像劇で、数ブロックの人間模様がだんだん交じり合っていく構成。様々な異なる社会階層が関係していく物語でもあります。まず朝鮮から日本に戻ってきた澤田智一(井浦新)と静子(田中麗奈)。このご夫妻に実在のモデルはいるんですか?

森監督:いません。最初に決めた大前提としては、福田村の村人たちと香川県からやってきた行商団……つまり加害者側と被害者側の両方をしっかり描くということでした。あとは物語を転がすための要素を足していった。メディアの問題は絶対入れたいと思っていました。史実をベースにしながらも、こちらの想像力で膨らませていくというのはフィクションならではの組み立て方ですから、非常に面白い作業でしたね。ドキュメンタリーとは違う筋肉の使い方というか。ただそのぶん、個々の見解の相違が露骨に出るので脚本チームの中ではずいぶん揉めました。

――澤田智一は元教師なんだけど、もはや絶望していて、慣れない農業で暮らしていこうとしている。なぜ絶望したか。それは4年前、つまり1919年に、彼は提岩里教会事件の現場に通訳として居た。そこで日本の憲兵たちによる朝鮮人虐殺を目の当たりにしてしまったと映画の半ばで自ら語り出します。こういった福田村事件に至る歴史的なトピックが重層的に組み込まれているのが特徴ですね。例えば劇中で新聞記者の恩田楓(木竜麻生)の口から「独立萬歳運動」として言及されるのは1919年の三・一独立運動です。ここで日本統治下にあった朝鮮側が酷い弾圧を受けたということで、その復讐が起こるかもしれない、という恐怖心が関東大震災の発生後に流布したフェイクニュースのベースになっている。

森監督:やっぱり歴史は「点ではなく、線で捉える」ことが重要ですから。朝鮮側から仕返しされるかもしれないという可能性についての怯えは澤田も多少なりとも持っていて、こういった双方の負の連鎖は1910年の日韓併合からどんどん大きくなっていったはず。脚本作りに関しては、佐伯俊道さんが資料魔なので、膨大な関連書籍を読み込んでから叩き台を出してくれました。そこからチームで意見を出し合って詰めていった感じですね。

――澤田にしろ、大正デモグラシーを唱える福田村村長の田向(豊原功補)にしろ、リベラル派の男たちをさほど肯定的に描いていないのが面白いなと思って(笑)。

森監督:荒井さん風に言うと「プチブル的」ってタイプになるのかな。彼らは弱いし、中途半端だし、自分勝手だし。澤田は終盤でようやく覚醒するように描いているけど、高い理想を掲げるわりに現実的には無力。別に揶揄しているわけじゃなくて、今の時代に至ってもこれが大方のリアルな実態じゃないかなと思っています。

――そんな澤田の的確な批判者が、妻の静子ですよね。彼女は「東洋拓殖」(明治41年から昭和20年まで朝鮮の京城府や満州などにあった日本の国策会社)の重役の娘という設定。静子は澤田が「いつも見てるだけ」=傍観者であることを指摘しますね。また澤田の性愛的な不能と、政治的な無力を重ねていますよね。

森監督:性愛的なモチーフに関しては、ほぼ荒井さんのアイデアです。僕からそういう発想は絶対出てこない。村人の井草家のエピソードも荒井さんかな。こちらは佐伯さんかも。大ベテランお二人です。義父・貞次(柄本明)と息子の妻・マス(向里祐香)の秘密の関係。例えば澤田が妻の不貞行為を目の当たりにして、その帰り道に彼女をおんぶする感覚も、僕にはわからない。そういったディテールの描写に関してはずいぶん喧嘩もしたんですけど、まあこれについては、今はまだ言いません。今回は元・若松プロのグループに放り込まれた転校生のような立場なので。いずれにせよ、これまでのドキュメンタリーとの違いは、劇映画云々というより、「一人で作るか、チームで作るか」の違いだったなという気がしますね。

――キャスティングがまた絶妙でしたね。冒頭の列車のシーンで澤田夫妻と乗り合わせているのが、シベリア出兵で夫を亡くし、福田村で豆腐屋を営んでいる島村咲江。演じるコムアイさんには目を瞠りました。

森監督:めちゃくちゃ良かったですよね。キャスティングに関しては僕も心底満足していて、適材適所以上というか、最強のフォーメーションが組めた気がします。水道橋博士に関しては僕が発案したのかな。最初は台詞回しもぎこちなかったんだけど、撮影しながらどんどん良くなってきた。まあ彼本人の政治信条とは真逆のキャラクター(在郷軍人会の分会長・長谷川)をお願いしたから、ずいぶん消耗したみたいで、そこは申し訳なかったなって。

――怪演でした。キャスティング論理は大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(83)を連想させるんですよ。ミュージシャンや芸人といった他分野で活躍されている人をプロの座組みに投入することで、異例の化学反応やエネルギーが発生している。
森監督:なるほど。そこはチームの意見を素直に聞き入れたからこそ実現できた部分ですね。僕としてはプロの役者さんの凄さを目の当たりにしたのが大きかった。

 

森達也 監督メッセージ


撮影/山上徳幸

関東大震災から五日が過ぎた1923年9月6日、千葉県東葛飾郡福田村の利根川沿いで、多くの人が殺された。多くの人が殺した。でもこの事件を知る人はほとんどいない。皆が目をそむけてきた。見て見ないふりをしてきた。惨劇が起きてから99年が過ぎたけれど、事実を知る人はもうほとんどいない。

450万年前に樹上から地上に降りてきた僕たちの祖先(ラミダス猿人)は、直立二足歩行を始めると同時に単独生活だったライフスタイルを集団生活へと変えた。つまり群れだ。なぜなら地上には天敵である大型肉食獣が多い。一人だと襲われたらひとたまりもない。でも集団なら天敵も簡単には襲ってこないし、迎撃できる可能性も高くなる。

こうしてヒトは群れる生きものになった。つまり社会性。だからこそこの地球でここまで繫栄した。でも群れには副作用がある。イワシやハトが典型だが、多くの個体がひとつの生きもののように動く。だってみんながてんでばらばらに動いていたら、群れは意味を失う。特に不安や恐怖を感じたとき、群れは同質であることを求めながら、異質なものを見つけて攻撃し排除しようとする。

この場合の異質は、極論すれば何でもよい。髪や肌の色。国籍。民族。信仰。そして言葉。多数派は少数派を標的とする。こうして虐殺や戦争が起きる。悪意などないままに。善人が善人を殺す。人類の歴史はこの過ちの繰り返しだ。だからこそ知らなくてはならない。凝視しなくてはならない。

だから撮る。僕は映画監督だ。それ以上でも以下でもない。ドキュメンタリーにはドキュメンタリーの強さがある。そしてドラマにはドラマの強さがある。区分けする意味も必要もない。映画を撮る。面白くて、鋭くて、豊かで、何よりも深い映画だ。

荒井晴彦、佐伯俊道、片嶋一貴、小林三四郎、井上淳一、心強い映画人たちが結集した。関東大震災が起きた1923年から100年となる2023年9月1日に公開します。

ご期待ください。

森達也
監督
1956年5月10日、広島県呉市生まれ。95年の地下鉄サリン事件発生後、オウム真理教広報副部長であった荒木浩と他のオウム信者たちを被写体とするテレビ・ドキュメンタリーの撮影を始めるが、所属する制作会社から契約解除を通告される。最終的に作品は『A』のタイトルで98年に劇場公開され、さらにベルリン国際映画祭など多数の海外映画祭に招待されて世界的に大きな話題となる。

99年にはテレビ・ドキュメンタリー「放送禁止歌」を発表。2001年には映画『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。映画作品は他に『311』(11)、『FAKE』(16)、『ⅰ~新聞記者ドキュメント』(19)などがある。

2011年「A3」(集英社インターナショナル)が講談社ノンフィクション賞を受賞。他の著作に、「放送禁止歌」(光文社智恵の森文庫)、「職業欄はエスパー」「いのちの食べかた」「死刑」「クォン・デ~もう一人のラストエンペラー」(角川文庫)、長編小説作品「チャンキ」(論創社)、「すべての戦争は自衛から始まる」(講談社文庫)、「U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面 (講談社現代新書)」などがある。近著は「千代田区一番一号のラビリンス」(現代書館)。

 

ストーリー

大正デモクラシーの喧騒の裏で、マスコミは、政府の失政を隠すようにこぞって「…いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽り、市民の不安と恐怖は徐々に高まっていた。

そんな中、朝鮮で日本軍による虐殺事件を目撃した澤田智一(井浦新)は、妻の静子(田中麗奈)を連れ、智一が教師をしていた日本統治下の京城を離れ、故郷の福田村に帰ってきた。同じ頃、沼部新助(永山瑛太)率いる薬売りの行商団は、関東地方へ向かうため四国の讃岐を出発する。

長閑な日々を打ち破るかのように、9月1日、空前絶後の揺れが関東地方を襲った。木々は倒れ、家は倒壊し、そして大火災が発生して無辜なる多くの人々が命を失った。そんな中でいつしか流言飛語が飛び交い、瞬く間にそれは関東近縁の町や村に伝わっていった。2日には東京府下に戒厳令が施行され、3日には神奈川に、4日には福田村がある千葉にも拡大され、多くの人々は大混乱に陥った。福田村にも避難民から「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」との情報がもたらされ、疑心暗鬼に陥り、人々は恐怖に浮足立つ。地元の新聞社は、情報の真偽を確かめるために躍起となるが、その実体は杳としてつかめないでいた。

震災後の混乱に乗じて、亀戸署では、社会主義者への弾圧が、秘かに行われていた。そして9月6日、偶然と不安、恐怖が折り重なり、後に歴史に葬られることとなる大事件が起きる――。

 

『福田村事件』予告編

 

公式サイト

 

2023年9月1日(金) テアトル新宿、ユーロスペース、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー

 

監督:森達也
脚本:佐伯俊道 井上淳一 荒井晴彦

出演
井浦新 田中麗奈 永山瑛太
東出昌大 コムアイ 木竜麻生 松浦祐也  向里祐香 杉田雷麟 カトウシンスケ
ピエール瀧 水道橋博士  豊原功補  柄本明

企画:荒井晴彦 企画協力:辻野弥生 中川五郎 若林正浩
統括プロデュ―サー:小林三四郎 プロデュ―サー:井上淳一 片嶋一貴
アソシエイトプロデュ―サー:内山太郎 比嘉世津子 音楽:鈴木慶一
撮影:桑原正 照明:豊見山明長 録音:臼井勝 美術:須坂文昭 装飾:中込秀志 衣裳:真柴紀子 ヘアメイク:清水美穂
編集:洲﨑千恵子 助監督:江良圭 スチール:佐藤芳夫 メイキング:綿井健陽
美術監修:磯見俊裕 キャスティング:新井康太 東山光宏
クラウドファンディング・寄付:越智あい 宣伝:山口慎平 大阪宣伝:松井寛子  宣伝デザイン:100KG
特別協力:真宗教団連合 集英社 協力:東映京都撮影所 松竹撮影所 モノポライズ
文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)|独立行政法人日本芸術文化振興会

2023年|日本|DCP|5.1ch|137分(英題:SEPTEMBER1923)

配給:太秦  製作プロダクション:ドッグシュガー
製作:「福田村事件」プロジェクト(株式会社テンカラット、株式会社カタログハウス、辻野弥生、株式会社ピカンテサーカス、MBS、株式会社ドッグシュガー、太秦株式会社)

©「福田村事件」プロジェクト2023 映倫番号:PG12-124008

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