『兎たちの暴走』実際に起きた事件から着想を得て、中国の工業都市を舞台に描いた母と娘の悲劇の物語

『兎たちの暴走』実際に起きた事件から着想を得て、中国の工業都市を舞台に描いた母と娘の悲劇の物語

2023-08-23 13:35:00

華々しく都会的なダンサーとして活躍する母と、その母に憧れ、何があっても母を庇おうとする娘の切ない悲劇の物語。本作は母と娘が娘の同級生を誘拐し殺害したという2011年に実際に起きた衝撃の事件から着想を得たという。

メガホンを取るのは、中国で最も注目を集める気鋭の若手女性監督シェン・ユー。本作は、北京電影学院の監督科から美術の仕事で映画業界に入り、NHKなどのドキュメンタリー撮影や監督、CMディレクターなど俳優以外の映画関連の仕事を多々経験してきた彼女の長編デビュー作である。

エグゼクティブ・プロデューサーには『天安門、恋人たち』(ロウ・イエ監督)を製作したファン・リー。プロデューサーは『ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅』の女性監督リー・ユーが務め、脚本は『シャドウプレイ』(ロウ・イエ監督)で共同脚本を務めたチウ・ユジエが手がける。2020年第33回東京国際映画祭にてワールドプレミア上映され、話題となった。

離れて暮らしていたが、ある日突然戻ってきて目の前に現れる母チュー・ティンと、自由奔放で洗練された美しさをもつ母に憧れを抱く17歳の娘シュイ・チン。母との距離を縮めるにつれ、母への愛着をますますつのらせ、母を庇おうと躍起になる娘の姿が健気で切ない。

本作を描く上で「一番大切にしているのは感情です。この物語は自分を捨てて戻ってきた母の愛を守るために、なんでもするという感情の話なのです」と監督が語るように、娘の母へのひたむきな愛があらぬ方へと2人を導いてゆく、その葛藤のプロセスに胸が張り裂けそうになる。

父親は生まれて最初に接する他者であるのに対し、母親は胎児としてお腹に宿った瞬間から自分と一体化した存在。その一体化した状態から、人は産道を通り=トンネルを抜け出て、母と切り離され、この世に生まれ、その後も母と密着した時を過ごす。それなのに、母との時間を存分に味わうことなく離れてしまったこの母子のような親子は、人生のどこかで再びそれを追体験しようとするのかもしれない。トンネルを抜け出た先で、この母子は生まれ出る瞬間をやり直そうとしているのかもしれない。何度も、何度も。

不可抗力に飲み込まれるように運命に翻弄されてゆくこの2人を、きっと誰しも他人事として観ることはできないだろう。〈犯罪〉の発端になるのが、どんな形であれ誰もが抱く〈母子の愛〉なのだから。この2つが結びついてしまう業の深さを思い、「もしも自分だったら?」と自問せずにはいられなくなる映画だ。

 

シェン・ユー 監督インタビュー

死を迎える人たちにとって死は、
トンネルを通って別の世界へ移行するような生まれ変わり

 

──実際に起きた事件をもとにしたそうですが?

脚本を書こうとする時期に事件の存在を知り、インスパイアされましたが、ありのままを映画にしたわけではなく、人物やストーリーはすべて脚色してあります。当時、中国では弱者の立場にある人々が暴力を振るう事件が急増していて、このことが映画のモチーフになっています。

──四川省攀枝花市の高低差のある風土、重工業とマンゴーの街という土地柄が、独特の空気感をもたらしています。

大きな山と川に囲まれた丘陵にある工業都市という風土を求めて、攀枝花へロケハンに出かけましたが、あの市の空港は機体が下降しないで着陸するような断崖絶壁の上にあり、凄い土地だなと期待が膨らみました。
街へ行く道すがら煙突が沢山あり、住宅街にも地底のような場所が広がっている。食べ物も柔らかいものと硬いもの、甘いものと苦いものがあって、すべてにおいて落差が激しい。これは間違いなく映画の舞台になると確信しました。

── 3人の少女たちは、それぞれ困難な家庭環境に悩んでいます。少女たちの家族設定にはどのような意図がありますか。

3人の少女たちは富裕層、一般層、貧困層の3種類の経済格差に属しています。ジン・シーは一番裕福な家庭で、橋の上に住んでいます。しかし、家庭に問題があり、両親が海外に逃亡してしまい、ジン・シーが街に残されている、という設定です。
シュイ・チンは一般家庭で、両親はごく普通の仕事をしている。マー・ユエユエは最下層に育っていて、父親と一緒に橋の下で暮らしている。しかし、裕福な友達がいて、経済援助を受けているという設定です。


── ワン・チェンが演じたシュイ・チンの母チュー・ティンの存在感は特に際立っていました。娘への愛情と奔放な無責任さが混在するキャラクター造形が秀逸です。後半、誘拐計画の実行に彼女の方が怖気づき、娘であるシュイ・チンに叱られる場面の母と娘の位置関係の逆転も鮮やかでした。ワン・チェン役をどのように形づくろうと意識されましたか。

母チュー・ティンは自分の人生をコントロールできない設定です。18歳で娘を生み、自分が母親になる準備が出来ず、人生が18歳の頃で止まっています。

チュー・ティンの役作りは脚本段階でヴィクトル・ユーゴーの『ノートルダムのせむし男』のエスメラルダを参考にしていました。ワン・チェンはとても女性らしく、魅力的ですが、時には違う世界にいる瞬間があり、それは母チュー・ティンと似たところだと思っています。実際、ワン・チェンは近眼ですが、あまりメガネをかけていません。自分の周りをはっきりとは見ず、意図的に距離を取り、神秘性を持っていることは面白く、それはこの役と同調する部分ではないかと思っています。ワン・チェンと母親としてのチュー・ティン役の似ている部分を演出で紡いでいきました。


── 東京国際映画祭でのインタビューで、シェン監督は脚本を書いているとき「高台に成金が住み、下町には貧乏人が住んでいるという設定の日本の小説」を読んでヒントを得たと語っていますが、その小説とは何でしょうか?

日本の推理小説女性作家 湊かなえさんの『夜行観覧車』を参考にしました。


── 母親のチュー・ティンが乗っている車のイエローカラーが印象的でした。他にもさまざまな色彩がビビッドに使われていますが、これらの色にどのような意味を込めましたか。

攀枝花市の特産物にはマンゴーがあります。皮は青く、肉は黄色というマンゴー。黄色は暖かいイメージですが、危険な感じもします。


── もしかしたら、 娘シュイ・チンは緑色で、母チュー・ティンが黄色ですので、黄色が緑に囲まれて、親子の関係のように、娘は母を守っている。そういう解釈もできますか。

確かに親子関係も暗示出来ているかもしれませんね。色の意味を調べて、色を演出として劇中で活用しました。たとえば、シュイ・チンのランドセルですが、白から黄色に変わって、母チュー・ティンが徐々に彼女の生活に侵入していくという意味づけをしています。


──日本版のポスターでは、その黄色をメインカラーに起用し、シュイ・チンがライターを灯す写真を使用しました。

私がシナリオの1行目に書いたのは、「シュイ・チンは『マッチ売りの少女』のようにマッチを灯し、幻を見た」でした。母親は彼女にとって幻想にしか過ぎなかったのです。


──母娘のドラマ、少女たちの友情ドラマ、犯罪ドラマであると同時に、経済格差に苦しめられている人々のドラマでもあると感じました。さまざまなジャンルが混ざりあい、予想できない展開へと観る者を連れていってくれました。脚本を書いていく上で、とくにこだわった部分をお聞かせください。

もともとの設定は3人の少女たちの話なので、3幕の悲劇にしたかったのですが、観客のために、エンディングを再構成して、今の形になりました。私が映画を作る上で一番大切しているのは感情です。『兎たちの暴走』は、娘シュイ・チンが戻ってきた母を守るためになんでもする、という感情の物語なのです。


──トンネルは思春期のメタファーであり、シュイ・チンにとって、彼女が渇望していた夢の世界への入り口のメタファーだとも思いました。

私は、ある時期、死を間近に迎えている人たちのドキュメンタリーを撮ったことがありました。そのドキュメンタリー作品の制作のリサーチで感じたことですが、死を迎える人たちにとって死は、トンネルを通って別の世界へ移行するような生まれ変わり、という感じがしました。

トンネルは母チュー・ティンにとって、もし過去に戻って重要な選択をする際、間違った選択をせずにやり直すことができたらという生まれ変わりを示す、娘シュイ・チンにとっては、戻ってきた母と一緒に暮らすことができたらと夢見る象徴なのです。


──なぜ英語のタイトルを『Old Town Girls』にしましたか。映画の内容も、登場人物たちの台詞も攀枝花市を古い町として扱っていますが、実際、攀枝花市は裕福な都会ですね。私たちも攀枝花市について調べましたが、昔は鉄鋼の生産が盛んでしたが、今は中国国内では、チタンとバナジウムなどレアメタルの首都だと呼ばれていますね。

実は、この映画では、攀枝花市を描写するという目的はなく、攀枝花を撮影地として選んだだけです。映画にある街は具体的な街ではなく、架空の街です。なので、映画でも攀枝花ということを強調していなくて、私にとって、あの町は中国の工業都市のシンボル的な街なのです。南京、西安のような古都と違って、経済発展のために、鉱業を発達させて、新型の町が生まれました。そこでたくさんの人々が集まってきて、経済、エネルギーの変化とともに、人々の生活も一変してきました。そのような中国社会の縮図を映画の舞台としたかったのです。


── 劇中放送室で街のことを「輝いて見えて、実は潰瘍だらけ。捨てられた街」と語っている詩が朗読されました。作者は金沙江一郎さんとあるので、いろいろ調べましたが見つかりませんでした。

脚本のチウ・ユジエさんが創作した名前ですので出典は見つからないはずです。攀枝花の隣の川が金沙江です。そして、現在の若者は日本文化が好きなので、日本アニメの名前のように、「金沙江」に「一郎」をつけ、面白いニックネームにしました。


──劇中で使用される「楽園」は広東語の歌ですね。この歌を選択した理由は何ですか。

「楽園」は実は2バージョンあり、自分はシナリオを執筆するとき、たくさんの音楽を聴きます。そこで「楽園」が耳に入ってきて「楽園」と出会いました。脚本執筆時に私が聞いていたのは標準語なのですが、キャストたちは全員広東語バージョンしか聞いていなかったので、現場は、広東語バージョンでいきました。


──ペイマン・ヤズダニアンさんはいくつもの中国映画のサウンドトラックを担当しますが、どのようにして今回の作品を頼んだのですか。

彼は中国のロウ・イエ監督の映画『天安門、恋人たち』のサウンドトラックを手がけました。彼と長い付き合いのあるプロダクションを知っていたので、北京に住んでいる彼にサウンドトラックを依頼することにしたのです。この映画の舞台は中国南西部の攀枝花という比較的疎外された街で、ペイマンの音楽はどこか国際的な雰囲気を持っていますから。


──シェン・ユーさんは、どのような経緯で映画監督になられたのでしょうか。

広告などを作り始めてからこの業界で20年を超えました。はじめは映画監督になるまでに1,2年くらいかかると思っていました。20年もかかるとは全く考えていませんでした。最終的に自分が映画を作れるかどうか分からなかったのですが、それでもずっと準備はしていました。例えば、ドキュメンタリーを作ることも撮影の技術を鍛えるためでした。この業界に入ったばかりの頃は、美術を担当しました。ドキュメンタリーの時は撮影をしながらプロデューサーも担当しました。俳優の役以外、この業界の様々な仕事をしてきました。


──『兎たちの暴走』の画面は美しいですが、インタビューの中で、以前コマーシャルをやったことがあるとおっしゃっていましたね。 どのような広告を手がけてこられたのか教えていただけますか。

飲み物やカップラーメンなどのような広告でした。でも私にとって広告の制作はあまり興味が持てませんでした。


── 劇映画制作に関して影響を与えましたか。

あまりなかったです。映画を作りたいなら、勉強と実践を続けることが必要です。広告はただその一部分でしかありません。私にとって、映画作りに大きな影響をもたらしたのは美術です。子供の時から美術を勉強してきましたし、卒業後、ドキュメンタリーを手がけたことがより大きな影響をもたらしました。


── どのようなドキュメンタリーを制作したのですか。

朝日放送やNHKなどの会社と協力して働いたことがあります。NHKでは、Dynamic China(急流中国)というドキュメンタリーの制作に参加しました。


── ドキュメンタリー制作を通して得たことは何ですか。

ドキュメンタリー制作に参加する前には、自分をピュアアート、絵画、映画作家などの領域に閉じ込めていましたが、ドキュメンタリーを制作する過程から変わりました。取材することが必要で、経済、人文などの分野により多く注目しなければならないことを学びました。社会の現状により関心を高めた結果、視野も広くなりました。


 ── 日本でも女性監督がどんどん増えてきていますが、中国も同じですか?

いま中国の女性監督も増えてきましたが、男性監督よりは、少ないと思います。


── 中国で女性監督として大変なことは何ですか。

性別とは関係ないと思います。新人監督のデビュー作品にはいろいろな困難があり、性別に関係なく、関係者に信頼してもらうことが大変です。現在私たちの時代において、性別とは、男性、女性だけに限らないですね。性差という境界と痕跡はますますぼやけていくんじゃないでしょうか。


──初めて好きになった映画は何ですか。

ダニー・ボイルの『トレインスポッティング』です。最も印象的なのはこの映画の台詞です。「未来を求める。人生を求める。どうして、こんなことを求めるんだ? 俺は求めない人生を求めることを選んだ……」それが一番衝撃的でした。


──リスペクトしている映画や、監督があれば教えてください。

スタンリー・キューブリック、ティム・バートン、デヴィッド・フィンチャー、ポン・ジュノのような監督が好きです。


── 8月から2作目に入ると聞きましたが、2作目はどんな作品でしょうか。

次回作もサスペンス映画です。感情をめぐる作品で、犯罪要素もあります。

 

シェン・ユー(申瑜)
監督・脚本
1977年上海生まれ。中学卒業後、上海華山美術学校の金属彫刻科に合格。大学は上海三達大学に入学し、インテリアデザイン科を専攻。その後北京電影学院を卒業し、MFAの学位を取得。コマーシャルのディレクターおよびアートディレクターとしてだけでなく、映画芸術家および脚本家としても活躍。2007年4月から放送されたNHKのドキュメンタリー番組「NHKスペシャル」大型シリーズの主題である『激流中国(Dynamic China)』の製作に参加。2016年、本作の脚本が第1回CFDG(中国人若手映画監督サポートプログラム)に入選し、監督協会の助成企画に選ばれた。2020年映画『兎たちの暴走』が第33回東京国際映画祭「東京プレミア2020」ノミネート。今後企画している2作目となる作品は、サスペンス要素を含めた内容となっている。

 

ストーリー

17歳の高校生シュイ・チンは、重工業が盛んな四川省攀枝花市(しせんしょうはんしかし)で父親と継母と弟の4人暮らし。

お金持ちだけど両親が不仲で悩みを抱えるグループのリーダー、ジン・シー。地元の広告モデルをするほどの美人だけど父親の暴力に怯えるマー・ユエユエ。そんな3人は喧嘩しながらも毎日楽しく高校生活を送っていた。

そんなある日、生まれて間もないシュイ・チンと古い街を捨て、成都へ行ってしまった彼女の実の母チュー・ティンが戻ってくる。憧れていた母との再会でシュイ・チンの生活は一変する。

 

『兎たちの暴走』予告編



公式サイト

 

2023年8月25日(金) 池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー

2023年8月26日(土) 新宿K‘s cinema

2023年9月1日(金) アップリンク京都

 

Cast
ワン・チェン(万茜):チュー・ティン(曲婷)役
リー・ゲンシー(李庚希):シュイ・チン(水青)役
シー・アン(是安):シュイ・ハウ(水浩)役
チャイ・イェ(柴燁):ジン・シー( 金熙)役
ヂォゥ・ズーユェ(周子越 ):マー・ユエユエ(馬悅悅)役
ホァン・ジュエ(黄覚):ラウトゥー(老杜)役
パン・ビンロン(潘斌龍):ラウマー(老馬)役
ユウ・ガンイン(兪更寅):バイ・ハウウェン(白皓文)役

Staff
監督:シェン・ユー(申瑜)
プロデューサー:ファン・リー(方励)、ヤン・フェイフェイ(楊菲菲)
共同プロデューサー:チャン・ハンハン(張晗)
ライン・プロデューサー:リ・イエン(栗顔)、チャオ・ウエイ(趙偉)、チャン・ジエン(張健)
エグゼクティブプロデューサー:リー・ユー(李玉)、ファン・リー(方励)
脚本:シェン・ユー(申瑜)・チウ・ユジエ(邱玉潔)・ファン・リー(方励)
撮影:ワン・シチン(汪士卿)
音楽:ペイマン・ヤズダニアン(イラン)
録音:マー・イー(馬漪)
編集:シエン・ションウェン(咸盛元)(韓国)
衣装:ワン・タウ(汪韜)
キャスティングディレクター:リウ・チャン(劉暢)
アートディレクター:チャン・ジエタウ(張傑濤)
VFXディレクター:ア・トゥンリン(阿冬林)

2020年/中国/105分/北京語、中国語/日本語字幕:鈴木真理子/原題:兔子暴力 The Old Town Girls

配給・宣伝:アップリンク
©Beijing Laurel Films Co.,Ltd.

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