『CLOSE/クロース』13歳の2人の少年に起こる悲劇的なできごと、その悲しみと再生、思春期への旅の始まりを繊細に描いた物語
色鮮やかな花畑や田園を舞台に、親密な2人の少年を引き裂く悲劇、その心の移り変わりを繊細に描いた本作。透明度の高い映像美と、主人公2人の表情や目の輝きがひときわ瑞々しく印象に残る。
監督を務めるのは、前作『Girl/ガール』で第71回カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を受賞した新星ルーカス・ドン。主人公・レオと幼馴染のレミを演じるのは、本作で俳優デビューを果たすエデン・ダンブリンとグスタフ・ドゥ・ワエル。長編2作目となる本作は、第75回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞、第95回アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされるなど各国の映画賞で47受賞104ノミネートを果たした。
本作の内容を検討していたある日、監督は生まれ育った村の小学校を尋ねる機会があったという。そこへ一歩足を踏み入れた瞬間、「学校時代の思い出が溢れ返ってきた」そうだ。「当時は素の自分でいることが本当に大変でした。今でも私は小学校と中学校でのつらい日々を思い出すことがあります。そんな想いを綴り、その世界を自分なりの視点で表現してみようと、いくつかの言葉を紙に書き留めました。友情、親密、恐怖、男らしさ……ここから本作は生まれたのです」と語っている。
透明で静謐な美しい背景によって、より一層生々しく映る主人公の後悔と孤独。その悲しみに寄り添う無言の描写が、多くの大人たちの古傷を呼び覚まし、心を揺さぶる。それは、埋もれてしまった古い記憶の山から、悲しみの余韻が鮮やかに蘇るような鮮烈な体験でもある。こんなにも純度の高いカタルシスを味わわせてくれる映画は滅多にないだろう。
ルーカス・ドン 監督インタビュー
©Thomas Nolf
――デビュー作の『Girl/ガール』が2018年の5月にカンヌで評価され、その後世界でも熱狂的な支持を受けましたが、次回作について考え始めたのはいつ頃でしょうか?
カンヌの後、『Girl/ガール』はトロントやテルライド、東京などいたるところで上映され、私は約1年半の間この映画とともに世界を旅しました。アカデミー賞の国際長編映画でベルギーの代表作品として選ばれてからはアメリカで長い時間を過ごしました。その期間中は初めての経験ばかりでとても刺激的でしたが、同時に圧倒され、私はあらゆる感情の浮き沈みを経験しました。すべてが終わって別のことに移る時が来たとき、私はこの映画のことを忘れて、まるで自分の一部のように過去に置いていかなければなりませんでした。その後、家に帰って真っ白なページの前に座ったときは、かなりショックを受けました。『Girl/ガール』と同じように情熱を持って話せる題材を考えなければならず、ある意味『Girl/ガール』で始めたものを続けていく必要もありました。
私は映画『タイタニック』が大好きだった母を通して映画を知り、その後映画の勉強をするようになりました。個人の内面的な部分を描いた映画を作りたいと思うようになるまで、それほど時間はかかりませんでした。幼少期や10代前半の頃に自分にとって不安だったことを探求してみたいと思ったのです。『Girl/ガール』では社会的規範やレッテル、固定観念にまみれた社会で、自分らしく生きることの難しさとアイデンティティについて描いています。また身体的で、外面と内面の葛藤に焦点を当てた映画でもありました。私はそのアイデンティティの問題と、他人やグループからどう見られているかに起因する葛藤について探求し続けたいと思っていました。何よりも、私は個人的な深いテーマについて話したかったのです。
――最初から悲劇の結末を想定していましたか?
いいえ、後から思いつきました。ただ、私が距離を置いたせいで連絡が取れなくなってしまった友人たちを裏切ったような気がしていて、そんな彼らに敬意を表する映画を作ろうという意図はありました。混乱していた時期だったので、その時はそれが最善の策だと思っていたのです。また、大切な人を失うことや、共に過ごす時間の大切さについても語りたいと思いました。この物語は親密な関係の断絶と、それに伴う責任感や罪悪感に基づいています。 ある意味では、思春期への旅の始まりです。責任を感じながらも口に出せない重荷を背負うことについてどうしても話したかったのです。主人公のレオは、彼のアイデンティティを定義する親友を失うことによってもたらされるこの感情に対処しています。彼の心の傷をスクリーンで表現したいと思いました。
――主人公である2人の少年、レオとレミのキャラクターはどのようにして作り上げましたか?
私はある意味、レオでありレミでもあると感じています。それぞれのキャラクターの中に私の一部があるのです。まずは、中学校への入学やセクシュアリティ、身体的変化、世界との関係、そしてこれらがどのように発展するかなど、子供と大人の間の非常に大事な瞬間である思春期における俳優たちの年齢を決めました。
13歳から18歳の少年100人を対象に調査した『Deep Secret』という、心理学者のニオベ・ウェイが書いた本が私の大きなインスピレーションとなりました。少年たちが13歳だった頃は男友達のことをまるで自分が世界で一番好きで、心を許せる相手かのように語っていましたが、年月が経つにつれて、彼らが男友達との親密さの概念を持ち出すことに苦労するようになるのを、著者は毎年観察していました。この本を通して、私は友情の親密な関係に苦しんで育ったゲイの少年が私だけではないことを理解することが出来ました。
主人公のレオに関しては、他人が彼らの友情を性的なものとして捉えることに恐怖を感じてほしいと思いました。彼の友人であるレミも同じ境遇に遭いますが、それを気にすることなく、行動を変えることもありません。レミはレオのことが非常に大切で、彼を愛しているものの、レオの態度の変化を理解することは出来ませんでした。どちらのキャラクターにも私と同じ部分がありますが、物事の捉え方はレオの方が私に近いです。その一方で、レミは自分自身に忠実で「自分らしく」生きようとした人たちを代表するキャラクターです。
――ミザンセーヌや美学の観点から見ると『Girl/ガール』と『CLOSE/クロース』の間に連続性があり、監督の映画は常に振り付けがされているような印象を受けますが、身体と動きに重点を置いていますか?
していると思います。それを実感したのは、映画を勉強しているときでした。他の学生が映画制作の実習をしている中、私は振付師の元でインターンシップをしました。実は、私は映画監督になりたかったわけではなく、ダンサーになるのが夢でした。でもその夢が恥ずかしくて、13歳の時には諦めてしまったのです。昔踊っていた時に批判されているように感じてしまい、人目を気にしない強さが私にはありませんでした。でも、ダンスをしている時だけは自分を表現することが出来、本当の自分になることが出来ました。その経験はほとんど私に身体的な傷を残しましたが、それでも私は常に振付師やダンサーと良い関係を保ち続けました。書くことは、私にとって自分を表現する別の方法でした。言葉で自分を表現するのは動きやダンスよりも難しく、私は自分自身の動きと同じようにキャラクターたちの動きにも興味があります。今回はまだ私の2つ目の作品ですが、自問自答をしてみると、私の映画ではコミュニケーションの手段として動きを取り入れているのではないかと思います。
私が書くとき、言葉はしばしば身体的な意図に変換されます。『CLOSE/クロース』では、男の子たちがベッドの中でできるだけ密着することを望みました。少年同士のこの親密さはめったに見ることができない画面で、むしろ私たちにとってほとんど異質なものです。クィア言語において事実上の象徴的な手と手の格闘であるケンカのシーンもあります。この映画の中心にある責任感は、内的負担のような極めて身体的なものでもあります。他には、男らしさと残忍さを象徴するという点でアイスホッケーに惹かれました。映画の後半では、レオに金網のケージで顔を覆うヘルメットをかぶせる理由にもなりますし、この衣裳は人の動きを包み込んで重くするので非常に興味深かったです。私の中では、動きというのは執筆の最初の時点から常にあるものです。私が書く映画では、視覚的な動きや音を通してコミュニケーションを取ることが大好きです。
――二人の若い俳優を見つけるのは大変だったのではないですか?
運命というか運が良かったというか、映画の最初のシーンを書き終えてすぐに、アントワープからゲントに向かう電車の中でエデン(レオ役)に会いました。彼は友達とお喋りをしていたのですが、その様子を見ていると、彼には信じられないほど鋭く表現力豊かな資質を持っていることがわかりました。私は彼に話しかけて、この役のオーディションを受けるよう誘いました。すると、彼はビクター・ポルスター(『Girl/ガール』で主役を演じた)と同じダンススクールに通っていたので、私を知っていたのです。キャスティングの過程ではたくさんの子供たちに会いました。その中から40人を選び、ペアになってオーディションをしてもらいました。いくつかの素晴らしいペアがありましたが、エデンとグスタブ(レミ役) のペアでの演技を見た時に、彼らには特別な繋がりがあることに気づきました。彼らは感情を没入させるシーンの後でも、そこからすぐに抜け出すことが出来ます。子供のようでありながらも、成熟ぶりを見せながら役に挑んでいたのです。素晴らしいペアでした。
――映画のタイトルである「CLOSE」は親密さと閉塞感の両方を意味しているのでしょうか?
1作目を『Girl/ガール』としたのは、そうしなければならないと思ったからでした。「CLOSE」については、「Deep Secrets」の本によく「親密な友情(close friendship)」という言葉が記されていました。2人の親密な関係を語る上で欠かせない言葉です。この深い親密さが、映画の悲劇的な出来事のきっかけとなるのです。私たちは誰かを亡くすと、その人との間にある親密さを探そうとします。ある種の哲学的な闘争に投げ込まれるのです。この言葉から私たちは簡単に、閉じ込められている、仮面を被っている、自分らしくいられないという概念を思い浮かびます。ちなみに最初の映画のタイトル案「We Two Boys Together Clinging」は、ウォルト・ホイットマンの詩にインスパイアされて2 人の男性の兄弟愛を描いたDavid Hockneyの絵のタイトルでした。「Clinging」は、誰かにしっかりとつかまりたいという欲求を表す特に使われる表現力豊かな言葉です。
ルーカス・ドン
監督・脚本
1991年ベルギー、ヘント生まれ。ヘントにあるKASKスクールオブアーツ卒業。在学中に制作したショートフィルム『CORPSPERDU』(12)が数々の賞に輝き、2014年に製作した『L’INFINI』は2015年度のアカデミー賞短編部門・ノミネート選考対象作品となった。2018年に『Girl/ガール』で長編デビュー。第71回カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)受賞をはじめ、数々の映画賞に輝いた。本作では自身の経験を基に少年たちの友情と悲劇を描き、第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門グランプリ受賞をはじめ、第95回アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされるなど世界各国の映画賞を席巻した。
ストーリー
花き農家の息子のレオと幼馴染のレミ。昼は花畑や田園を走り回り、夜は寄り添って寝そべる。24時間365日ともに時間を過ごしてきた2人は親友以上で兄弟のような関係だった。
13歳になる2人は同じ中学校に入学する。入学初日、ぴったりとくっついて座る2人をみたクラスメイトは「付き合ってるの?」と質問を投げかける。「親友だから当然だ」とむきになるレオ。その後もいじられるレオは、徐々にレミから距離を置くようになる。
ある朝、レミを避けるように一人で登校するレオ。毎日一緒に登下校をしていたにも関わらず、自分を置いて先に登校したことに傷つくレミ。二人はその場で大喧嘩に。その後、レミを気にかけるレオだったが、仲直りすることができず時間だけが過ぎていったある日、課外授業にレミの姿はなかった。心ここにあらずのレオは、授業の終わりに衝撃的な事実を告げられる。それは、レミとの突然の別れだった。
移ろいゆく季節のなか、自責の念にかられるレオは、誰にも打ち明けられない想いを抱えていた……。
『CLOSE/クロース』予告編
公式サイト
2023年7月14日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー
監督:ルーカス・ドン(『Girl/ガール』)
脚本:ルーカス・ドン、アンジェロ・タイセンス
キャスト:エデン・ダンブリン、グスタフ・ドゥ・ワエル、エミリー・ドゥケンヌ
2022年|ベルギー・オランダ・フランス|104分|ヨーロピアンビスタ|5.1ch|原題:Close|字幕翻訳:横井和子|G
配給:クロックワークス/STAR CHANNEL MOVIES
提供:クロックワークス 東北新社
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