『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』「ウクライナ人が存在しているよ」と世界に叫んでいる歌なのです

『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』「ウクライナ人が存在しているよ」と世界に叫んでいる歌なのです

2023-07-06 00:05:00

『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』、まずタイトルとなっている『キャロル・オブ・ザ・ベル』のクリスマスソングを、少年合唱団リベラの歌声で聴いていただこう。


クリスマスキャロルとして有名な「キャロル・オブ・ザ・ベル」は、ウクライナで古くから歌い継がれている民謡「シチェドリク」に1916年“ウクライナのバッハ”との異名を持つ作曲家マイコラ・レオントーヴィッチュが編曲し、のちに英語の歌詞がつけられたものである。映画『ホーム・アローン』(90)内で歌われ、世界中に知られるようになった。

映画の舞台は、1939年ポーランドのスラニスワウフにあるアパートに引っ越してきたウクライナ人の家族の部屋である。母親ソフィアはピアノを弾き、子供たちに歌を教える。その歌の一つが「キャロル・オブ・ザ・ベル」だ。ウクライナ人の母親ソフィアに寄り添いながら、ドイツ、ソ連に占領されるたびに生活が変わっていくのを映画を通して観ているだけで、胸が締め付けられる思いを何度もするのだった。ウクライナ人である自分の子供、同じアパートのポーランド人、ユダヤ人、そしてドイツ人の子供までを守ろうとするソフィアの姿に、想像を絶するウクライナ人の歴史を映画を通して知ることができる。

2022年2月のロシア侵攻前に製作されたという本作、監督のオレシャ・モルグネツ=イサイェンコはウクライナでの公開についてこう語る。

「ウクライナでは大ヒットしています。ロシアの侵攻があって、よりこの映画を支持している人たちが増えています。ウクライナ全国の半分くらいの映画館が開いています。多くの映画館で満席に近い状態です。このような状況下でもこの作品でカタルシスを覚えて満足している人たちが多いです。日本のお客さまには家族で観てほしいです。この映画のテーマは家族について、言語の重要性、そして第2次大戦のような戦争を二度と起こさないようにすることです。特に日本は広島・長崎の体験があり、興味を持ってくれると思います。私は日本が好きで阿部公房原作の小説を映画化したいと思っています。日本で上映されることになったことを光栄に思っています。いつか美しく、歴史がある日本を訪ねたいと願っています」

オレシャ・モルグネツ=イサイェンコ 監督インタビュー


−−今どちらにお住まいでしょうか。安全確保は大丈夫でしょうか。

キーウのマンション(自宅)にいます。ロシア軍からのミサイル攻撃があり、ウクライナ国内で安全な場所はどこにもありません。しかし今は空襲警報もないし、電気も通っています。日本の配給会社の方々と話ができて感謝しています。

−−この映画を作るきっかけを教えて下さい。

3つあります。①前作のドキュメンタリー映画(『THE BORDER LINE』(19))で、第2次大戦中のウクライナとポーランドとの関係や、ナチスドイツやソ連によってウクライナが破壊されたことを描いたこと②子どもと家族を描きたかったこと③タイトルになっている「シチェドリク=キャロル・オブ・ザ・ベル」はウクライナ人にとってとても大事な歌であること、です。2018年にこの作品を作ろうと思いお金を集めていました。そのメドがついた2019年~2020年に撮影しました。Covid-19パンデミックの影響は少なからずありましたが、主に2019年に撮影していたので大きな問題ではなく、オンラインで編集をしたのが印象的でした。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻後、修正や変更などはせずに完成しています。


−−本作は昨年2月のロシアによる侵攻前に作られています。まるでこの戦争を予感されていたような作品です。ウクライナ国内では、いつロシアが攻めてきてもおかしくない状況だったのでしょうか。

ウクライナ人のごく一部の人たちは、ロシアからの侵攻があるとは思っていなかったようです。それは、ロシアからのプロパガンダが原因だと思います。しかし、私含めて多くの人たちは、ロシアが攻撃することは判っていました。本格的にロシアが侵攻を始める1ヶ月前には、いつ戦争が起こってもすぐに逃げられるように荷物をまとめていました。ロシアにとってはウクライナ、キーウは邪魔だったからです。ウクライナの存在があるから、ロシアは世界一になれない、ウクライナをロシアの国として屈服させる必要があったからです。日本もウクライナと同じで、ロシア・中国の帝国に囲まれて脅威にさらされている。日本人は、今のウクライナ人のことはよくわかっていただけると思います。

−−子役のキャスティングはどのようにされたのでしょうか。

100人以上の応募があったオーディションで2か月かけて選びました。歌が重要なので、最初の条件は歌がうまいこと。次の条件は、映画出演の経験があること。イチから教えるのには時間もお金もかけられませんでしたから。子役たちはみな、親役の俳優に似ていたのは偶然ですがとても運が良かったと思います。

−−本作の3家族は実在のモデルがいるのでしょうか。

脚本家のクセニア・ザスタフスカさんの祖母が第2次大戦で体験したことを基にしています。ポーランド人とユダヤ人の家族をドイツ軍から守っていました。舞台設定のイヴァーノ=フランキーウシクは、第2次大戦でナチスからの爆撃があったこと、ナチスの後すぐにソ連が攻めてきたことの事実から、そのようにしています。またOUN(ウクライナ民族主義者組織)を処刑するシーンも実際にあったことです。他にも実際にあったことも盛り込んでいます。一番小さい子(タリア)が外に出たと思って探しに行った時、ドイツ軍兵士が家にやってきてパスポートを見せたこと、それも脚本家の祖母の体験です。監督の出身であるチュリニフ州でも第2次大戦中ナチスに占領されてパスポートがないと逮捕され、処刑された。そのような事実をもとにしています。

−−作品の冒頭、1971年2月24日カーネギーホールのポスターが映ります。これは実際にあったコンサートのポスターでしょうか。またラストで大人になった3人が再開した1978年12月のニューヨークで何があったのでしょうか。

実際にはなかったのですが、多くの事実から作りました。1945年、ポーランド人とポーランド系ユダヤ人はポーランドの法律によって帰郷できるようになりました。1978年にした理由は、その頃にソ連から飛行機で外国に行くことができた事実があり、それを基にしています。ただ当時ソ連から出国できたのは選ばれた人たちだけでしたので、ソ連で有名な歌手になったとの設定にしました。

−−ウクライナ人のお父さんの足が悪くなった原因を教えて下さい。

ウクライナ民族主義者組織(OUN)の一員でそれ以前もウクライナ独立のために戦っていた時にけがをして足を引きずっている。そのことからソ連に支配されていたキーウには住むことが出来ずイヴァーノ=フランキーウシクに引っ越してきた。足が悪いために戦えなくなり伝達などの仕事をしていた、という設定です。

−−ウクライナ人にとってこの歌「シチェドリク」は特別な意味を持っているのでしょうか。ロシア人の前で歌うことはご法度なのでしょうか。

ロシアがウクライナを侵攻する前までは、ロシア人も気にしていませんでした。この歌は「ウクライナ人、ウクライナ語、ウクライナ文化が存在している」という何百年前から伝わる民謡です。ウクライナ語でのこの歌をロシア人が聞くと不快だと思います。ロシアによる侵攻の前、この歌は『ホーム・アローン』の影響で多くの人はアメリカの歌だと思っていましたが、本当は「ウクライナ人が存在しているよ」と世界に叫んでいる、そういう歌なのです。

本作は私にとって特別かつパーソナルなもの

私は2008年にこの業界で働き始めました。映画監督となったのは2014年からです。これは私の2作目の長編劇映画です。このプロジェクトは私にとってとても特別かつパーソナルなものです。この企画に参加する8カ月前に娘が生まれました。この映画のテーマと雰囲気は私の内面の精神状態と共鳴しました。私は自分の娘そしてあらゆる子供たちの生命と未来は何よりも大切なものだと理解していたのです。その上、この映画の主役もまた女性であり、そして彼女も娘たちを抱えています。             

また、この映画はあらゆる国家における文化と伝統が人間性においてもっとも偉大な宝物であることを提示します。登場人物たちは作中殆どの時間を外界から隔絶されていますが、音楽が彼女らをその悲しみから守っているのです。

この映画は、ロシアによるウクライナの本格的な侵攻の前に制作されましたが、その時点でさえ私たちが住む国は戦争中の状況でした。老いも若きも、ウクライナに生きる人々の中に戦争や悲劇的な出来事を経験せずに生き延びている人は一人もいませんので、この映画に取り組むことは私にとって非常に重要でした。そして今、この映画はさらに現代との関連性が高まっています。映画で描かれたように、実際の戦争において、女性や子供は常に戦争の人質です。妊娠中だった私の姉と姪は、占領地の地下室に28日間過ごすことを余儀なくされました。なので、私は私たちの映画が記憶から消し去られてはいけない過去を反映したものであり、そして未来はウクライナ人と世界にとってより良きものになるはずだと考えています。

オレシャ・モルグネツ=イサイェンコ
監督
1984年ウクライナに生まれる。キーウ国立演劇映画テレビ大学を卒業し、卒業制作映画“MOLFAR(08)”がモスクワで開催された「21世紀の新しい映画祭」にて審査員賞を受賞。以降はテレビドキュメンタリーを中心に活動。本作が長編劇映画監督作品2作目となる。

 

ストーリー

なにがあっても、生きる。

1939年1月、ポーランドのスタニスワヴフ(現ウクライナ、イヴァーノ=フランキーウシク)にあるユダヤ人が住む母屋に店子としてウクライナ人とポーランド人の家族が引越ししてくる。ウクライナ人の娘ヤロスラワは音楽家の両親の影響を受け歌が得意で、特にウクライナの民謡「シェドリック」=「キャロル・オブ・ザ・ベル」は、歌うと幸せが訪れると信じ、大事な場面でその歌を披露する。第2次大戦開戦後、ソ連による侵攻、ナチス・ドイツによる侵攻、再度ソ連によって占領される。ポーランド人とユダヤ人の両親は迫害によって離され娘たちが残される。ユダヤ人の娘ディナ、ポーランド人の娘テレサの3人の娘たちをウクライナ人の母であり歌の先生でもあるソフィアが必至に守り通して生きていく。

戦況は悪化し、子どもたちを連行しようとソ連軍が家探しを始めるが、ソフィアが機転を利かせて最悪の事態は免れる。ナチスによる粛清によってウクライナ人の父の手に及び処刑されてしまう。残されたソフィアは、ウクライナ人である自分の娘、ポーランド人の娘、ユダヤ人の娘に加えて「この子には罪はない」と言ってドイツ人の息子を匿うことになるのだった…。


 

◆ 第二次世界大戦下のウクライナ年表 ◆

1917年11月 ウクライナ人民共和国の成立

1921年3月 ポーランド・ソビエト戦争終結
西ウクライナはポーランド領、その他はソビエト領となる
ウクライナ人民共和国政府はポーランドに逃れて亡命政府を立てる

1922年12月 赤軍勝利によってソ連邦結成
ウクライナはウクライナ社会主義ソビエト共和国として一方的に併合される

1929年1月 ウクライナ民族主義者組織(OUN)創設

1932年4月〜1933年11月
ウクライナで当時のソ連政権による計画された人工的な大飢饉が起こる(ホロドモール)

1939年9月 ドイツとソ連によるポーランド侵攻、第二次世界大戦勃発
ソ連はその後ウクライナを占領

1941年6月 ドイツのソ連侵攻
9月 ドイツがウクライナ首都キーウを占領

1942年7月 ドイツがウクライナを占領
7月 ロシアでスターリングラード攻防戦始まる
10月 ウクライナ蜂起軍(UPA)結成

1943年8月 ソ連のウクライナ攻勢
11月 ソ連軍によるキーウ占領

1944年5月 ソ連によるクリミア・タタール民族のクリミア半島からの強制移住 
6月 ソ連軍による西ウクライナ制圧、連合軍のノルマンディ上陸

1945年4月 ベルリン陥落
5月 ドイツ降伏
8月 日本降伏

1954年
クリミア半島の帰属がロシアからウクライナに移管

1991年8月
ソ連崩壊によりウクライナ独立宣言

 

『キャロル・オブ・ザ・ベル』予告編

 

公式サイト

 

2023年7月7日(金) 新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー


Cast
ソフィア・ミコライウナ(ウクライナ人母親)ヤナ・コロリョーヴァ
ミハイロ・ミコライウナ(ウクライナ人父親) アンドリー・モストレーンコ
ワンダ・カリノフスカ(ポーランド人母親)ヨアンナ・オポズダ
ヴァツワフ・カリノフスカ(ポーランド人父親)ミロスワフ・ハニシェフスキ
ヤロスラワ・ミコライウナ(ウクライナ人子ども) ポリナ・グロモヴァ
テレサ・カリノフスカ(ポーランド人子ども)フルィスティーナ・オレヒヴナ・ウシーツカ
ベルタ・ハーシュコウィッツ(ユダヤ人母親)アラ・ビニェイエバ
イサク・ハーシュコウィッツ(ユダヤ人父親)トマシュ・ソブチャク
ディナ・ハーシュコウィッツ(ユダヤ人子ども) エウゲニア・ソロドヴニク


Staff  
監督:オレシア・モルグレッツ=イサイェンコ
脚本:クセニア・ザスタフスカ 
撮影:エフゲニー・キレイ 
音楽:ホセイン・ミルザゴリ
美術:ブラドレン・オドゥデンコ
プロデューサー:アーテム・コリウバイエフ、タラス・ボサック、マクシム・レスチャンカ  

2021/ウクライナ・ポーランド/ウクライナ語/シネマスコープ/122分/原題:Carol of the Bells

配給: 彩プロ 後援:ウクライナ大使館
© MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020