『共に生きる 書家金澤翔子』天才書家・金澤翔子とその母親泰子のダウン症の子を持つ覚悟を見る映画
『共に生きる 書家金澤翔子』は、彼女の書が福島いわき市の美術館に飾られれば、震災後の人と共に生きることを想い、やまゆり学園の追悼式に訪れた彼女を見れば、障害者と共に生きることを想い、映画の最後では母泰子と翔子が共に生きることを想う映画だ。
ダウン症の天才書家、金澤翔子について母泰子は語る。母は生まれた時から娘のことを心配しているが、ある日、翔子に勇気を出して聞いたという。
「ダウン症ってなあに?」
翔子の答えは「書道の上手い人のこと言うのかな」。
この映画は、書家金澤翔子とその母親金澤泰子の映画である。そして、母の覚悟を見せてくれる映画である。
母は常に自問する。「万が一は無しにしている。この子を残して、私が死んだ時に生きていけるか」。
翔子は、そんな母の心配を言葉に出しはしないが理解している。翔子はスーパーで買い物をせず、近所の個人商店で買い物をし、近所付き合いを築いていく。もし、母親が先に亡くなった時、一人でも生きていくために。
翔子の書く「命」という最後の筆順で最後の縦の1本の線。その線は、勢いのある一本の線ではなく、カクカクカクと節のある線だ。命は単純な線ではなく節くれだっている線の連続と読み取れる「命」という書だ。
彼女の書を見て涙する人が展覧会では多いと言う。この映画を観る人は書を見て涙するという経験を初めてするかもしれないだろう。
金澤翔子プロフィール
東京都出身。
5歳から書家である母の師事で書を始める。
伊勢神宮や東大寺を始めとした日本を代表する神社仏閣で奉納揮毫や個展を開催。ローマ教皇庁(バチカン)に大作「祈」を寄贈。国外ではニューヨーク、チェコ、シンガポール、ロシア等で個展を開催。これまでに延べ200万人が金澤の書にふれ、年間約10万人以上が個展等に訪れる。東日本大震災後に発表した自身代表作「共に生きる」を合言葉に被災地への応援や、障害者支援など共生社会実現に向けた活動にも継続的に取り組んでいる。
宮澤正明 監督
宮澤正明
監督
1960年東京生まれ。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、赤外線フィルムを使用した作品『夢十夜』にてICP第1回新人賞を受賞。帰国後、ファッション・広告など幅広い分野で撮影を行う一方、日本の原風景の撮影をライフワークとし国内外で写真展を多数開催。
2004年の神嘗祭の撮影を機に伊勢神宮の撮影を開始。2005年第62回伊勢神宮式年遷宮の正式な撮影許諾を受け、「現代に生きる神話」をテーマに2013年の遷御の儀までの9年間で6万点に及ぶ作品を奉納。日本各地で写真展『伊勢神話への旅』を開催する。集大成としての写真集『浄闇』(小学館)と『遷宮』(エイ出版社)を出版。また、伊勢神宮の森をテーマにしたドキュメンタリー映画『うみやまあひだ』を初監督しマドリード国際映画祭外国語ドキュメンタリー部門で最優秀作品賞を受賞。
ストーリー
母娘で歩んだ涙と幸せの38年。
NHK大河ドラマ「平清盛」の題字を担当するなど、今や天才書家と呼ばれるようになった金澤翔子は、5歳から母・泰子を師として書道を始め、純粋な心で揮毫する彼女の“書”は数多くの人々を魅了してきた。 彼女の代表作の一つである「風神雷神」は、京都の建仁寺で国宝・俵屋宗達の「風神雷神」の屏風に並んで書が納められ、日本のみならず国連でのスピーチやニューヨークやプラハでの個展開催など世界的な活躍を見せている。
生まれてすぐにダウン症と診断された彼女に母である泰子がどう向き合ってきたのか、どうやって彼女の才能を開花させていったのか、金澤翔子が書家として一流の舞台まで上り詰めるまでにはいくつもの努力と挑戦、そして母・泰子の支えがあった。
映画ではそんな彼女たちの日々の活動に密着して金澤翔子と母・泰子が共に生み出す“書道”と彼女たちの幸せの形に迫る。
『共に生きる 書家金澤翔子』予告編
アップリンク吉祥寺へおいでのみなさまへ
公式サイト
2023年6月2日(金) T・ジョイPRINCE品川、新宿バルト9、アップリンク吉祥寺、ほか全国ロードショー
出演:⾦澤翔⼦ ⾦澤泰⼦
監督:宮澤正明
プロデューサー・構成:鎌⽥雄介 ⾳楽:⼩林洋平 編集:宮島⻯治
撮影:宮澤正明 ⼤⽥聖⼦ アーカイブ映像監督:⼩島康史
オンライン:太⽥正⼈ 整⾳:⻄條博介 製作:マスターワークス 制作:GENERATION11
配給・宣伝:ナカチカピクチャーズ 配給協⼒:ティ・ジョイ
2023 年 / ⽇本 / 79分/ カラー / DCP
Ⓒマスターワークス