『波紋』荻上直子監督オリジナルの最新作。監督自身が歴代最高の脚本と自負する絶望エンタテインメント

『波紋』荻上直子監督オリジナルの最新作。監督自身が歴代最高の脚本と自負する絶望エンタテインメント

2023-05-23 14:41:00

『波紋』を評するには、喜劇王のチャーリー・チャップリンの言葉「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」が最も相応しいだろう。そして次々と降りかかる、自分ではどうにも出来ない辛苦の荒波を泳ぎ切る主人公、依子を演じる筒井真理子の演技に、「あっぱれ!パンパンパン!(フラメンコの手拍子)」と称えたくなる映画だ。

『かもめ食堂』『川っペリムコリッタ』の荻上直子監督のオリジナル脚本が本作だ。
原発事故を機に​突然の失踪から10年以上の時を経て戻ってきて、自身が癌で​治療に必要な高額の費用を助けて欲しいとすがってくる夫・修(光石研)。​​障害のある彼女と結婚したいという帰省した息子・拓哉(磯村勇斗)。​依子は新興宗教に救いを求め、​その教団のリーダーをキムラ緑子が、依子のパート先のスーパーの店員で友人を木野花が演じる。

荻上​​監督は、その脚本を俳優と初めて読み合わせをしたときのことをこう語る。
「並んだ女優3人(筒井真理子・木野花・キムラ緑子)を見て、この映画は狂った女たちの話なんだ、と改めて気付きました。それだけ、迫力があり、怖かったのです。もちろんいい意味で」という。

また、東日本大震災の物語を起点している理由を「私が未だにペットボトルの水を買って飲んでいるからです。私の周りには水道水を利用する人が多く、そのまま子供に与えている人もいて、”もう、みんなそこまで気にしていないんだ”と思うのですが、自分はまだまだ恐怖の意識から抜けきれないでいます」と語る。

人の不幸は蜜の味で、そこから味わうことのできる現代社会ということで、荻上直子監督の新境地となる作品を楽しんでみてはどうだろうか。

 

荻上直⼦ 監督インタビュー



ーー『波紋』の企画の成り立ち

企画プロデューサーの米満一正さんと共に、オリジナルで勝負したいという思いで企画を立案・進行し、脚本を書き上げました。最終的に「これをやりましょう」と言ってくださったのがテレビマンユニオンのプロデューサーの杉田浩光さんでした。 今回の主要スタッフはほぼ初めましての方が多いのですが、撮影の山本英夫さんは以前からずっと憧れていた方で、スケジュールが空いていたのはとても幸運でした。劇中、夢の中の世界のようなパートがちょっとあったりしますが、全体がぶれることなくにファンタジー色に染まらなかったのは、山本さんのおかげだと思っています。 依子の家は、一軒家をそのままお借りして、庭も部屋の中もすべてそこで撮影しました。枯山水の庭を作るのには相当な手間がかかるので、できれば小さい庭でという意見もあったのですが、やはりある程度の大きさがあった方が一目で依子の狂っている感じが伝わるだろうと思い、美術の安宅紀史さんに無理を聞いてもらいました。修が趣味でやっているガーデニングの庭が、依子の枯山水の庭へガラッと変わるところは、印象的な場面になったと思います。


ーー主人公、依子について

依子は、私にとっては共感しづらい人物で、どこかですごく嫌いでもあり、作品の前半では批判的な色が強く出ていると思います。自分が理解できない人間に対する疑問や、その相手を知りたいという気持ちから生まれた人物です。依子は、夫の修がいなくなるまで、働かずに済むなら働かなくていいという意識で生きてきたのですが、私の母親世代の多くは依子のような専業主婦で、そうした生き方が当時は主流でした。そういった女性が、家族の世話から解放されたときに拠り所をなくしてしまうというその心理はわからないではないけれど、次の依存先を欲してしまうという気持ちのほうがわからなかった。そこを知りたい、理解したいという気持ちから、依子という人物が宗教にはまる心理を考えていきました。

ーー宗教団体の描写について

家の近所にいくつか宗教団体の施設があり、多くの人が出入りしている姿を日常的に目にしていたのですが、調べてみると著名な政治家が入信しているという報道もあって、人がそこを拠り所にしているのはなぜだろうと興味を覚えたことに端を発します(ちなみに旧統一教会ではありません)。 脚本を書く上で特定の宗教を参考にしたことはありませんが、自ずと出てきたのは高校時代の体験でした。私が在籍していた高校は道徳教育に力を入れていて、保護者がその教えを書いたリーフレットを全国で配布するなど、宗教団体ではないのですが、それに似通った空気がありました。映画の中で出てくるミーティングの様子などは、踊りこそはなかったですが、畳の上で座を組んで切磋琢磨の文言を唱えたり、歌を歌ったりする様子など、当時の体験をそのまま反映させています。学校内の決まりごとにも男尊女卑の名残があって、食事の配膳係や学級内の掃除は女子生徒だけに課せられていましたが、私は反抗を諦めて、違和感と気持ち悪さを逆に楽しむという日々を過ごしていました。そんな高校3年間の経験がバックグラウンドとなり、宗教的な構造の中にいる依子の描写につながっています。


ーー東日本大震災を物語の起点とすること

この作品では、水がひとつのテーマになっています。東日本大震災を物語の起点にしているのは、私が未だにペットボトルの水を買って飲んでいるからです。私の周りには水道水を利用する人が多く、そのまま子供に与えている人もいて、「もう、みんなそこまで気にしていないんだ」と思うのですが、自分はまだまだ恐怖の意識から抜けきれないでいます。 12年前に起きた東日本大震災をもう過去だと思っている人と、まったく過去のことと思えない人との差について考えさせられます。メディアを通しての大きな報道も少なくなってきて、多くの人の中でもう過去になってしまっていることへの違和感が、この脚本の立脚点となっています。木野花さん演じる水木さんのように、あれ以来、時が止まったまま過ごしている人は絶対にいるだろうと思っています。


ーー演出の進め方

基本的には、本番の最初のテイクが一番好きなので、リハーサルはあまりせず、スタッフの準備が整えば、すぐにカメラを回すようにしていました。 筒井さんは、ご自身で事前にかなりのリサーチをされ、依子のキャラクターについても熟考に熟考を重ねてきてくれましたので、撮影の直前に二人だけでじっくり話し合う時間を持ちました。現場では、逆に少し力を抜いてもらっても良いかなと思い、リサーチされたこととその場の感覚とのバランスを、私が見ていくという感じでした。他キャストの皆さんと対峙した時には効果的な化学反応も起こり、依子という人物を見事に現してくださいました。依子がほくそ笑む場面では何回かテイクを重ねたのですが、筒井さんから「ここは、依子の4回目の笑いなので」と言われ、脚本を書いた私ですら何回目の笑いか意識していないのに、そこまで細かく考え、感じて演じられているんだなと驚いたんです。とても真面目で真摯に役に取り組む姿勢には、感服しました。

光石さんは、その場の空気をすごく読んで演じる方です。脚本には修はずるい男として書かれているのに、光石さんが演じるとずるいだけではなく「まあ、しょうがないな……」となぜか許してしまう男にかわってしまうんです。本当にそういうところ、悔しいくらいうまく出されますよね(笑)。震災で大変な時に家族の前から消えたくせに自分が病気になったから戻ってくるような夫を、なぜ依子はまた家に引き入れるのか、書きながら悩んでいたんですけど、光石さんに演じてもらうことで、観客の皆さんに「しょうがないな」と思ってもらえたのではないでしょうか。 この作品のスチールを担当してくれた女性が宮城県の出身なのですが「震災の直後に一家の主が姿を消してしまい、女手ひとつで家族を支え生きてきたら、数年後その夫が病気になって戻ってきた…という人が知り合いにいます、実際にああいうことがありますよね」という話をしてくれたのは驚きで、あながちフィクションでもないのだなと思わされました。


ーー波紋での合成シーンの狙い

劇中で何度か挿入される、登場人物から生じた波紋がぶつかりあう会話劇のパートは、まずブルーバックで撮影し、後日、背景となる湖面を撮りにいきました。準備段階から、撮影の山本さんとVFXの担当の大萩真司さんとでイメージを共有するために打合せを重ね、具体的には、森の奥の湖に白馬が一頭だけたたずんでいる、東山魁夷の「白い馬」シリーズの感じでというリクエストを出しました。一連のパートは、山本さんのアドバイスもあって、ブルーバックだけでなく、実際の家のリビングルームでも同じように演じてもらい、寄りのカットを撮りました。それを編集の普嶋信一さんがうまく混合してくださり、あの感じになりました。普嶋さんには、自分のできる限りの気が狂った感を出した編集にしてくださいとお願いしました。

ーーフラメンコと音響効果としてのパルマ

パンパンパンパンという、フラメンコにおけるパルマ(手拍子)の音を何箇所か入れているのですが、これは脚本の段階ではまったく想定していなかった要素です。映像のほうが完成し、何の音を入れるか考えているときに、いわゆる音楽は必要ないけれど、打楽器ベースのリズムだけで進行していこうと決めました。和太鼓などいろいろ試してもらって、最終的にフラメンコのパルマが一番しっくりきたんです。もちろん、最後に依子が踊るフラメンコの場面にも繋がりますし、これしかないという選択になりました。

最初に、依子のことを好きではない人物と言いましたが、演じる筒井さんが依子の心境や置かれた状況を掘り下げ、感じて、理解して演じてくださったこと、そしてあのフラメンコの踊りのために数カ月前から徹底的に練習をして撮影に臨んでくださったおかげで、ラストシーン、ただただ無心に踊っている依子の姿がすごく好きになっていました。

 

コメント

その日は、雨が降っていた。駅に向かう途中にある、とある新興宗教施設の前を通りかかったとき、ふと目にした光景。 施設の前の傘立てには、数千本の傘が詰まっていた。傘の数と同じだけの人々が、この新興宗教を拠り所にしている。何かを信じていないと生きていくのが不安な人々がこんなにもいるという現実に、私は立ちすくんだ。 施設から出てきた小綺麗な格好の女性たちが気になった。この時の光景が、物語を創作するきっかけになる。

日本におけるジェンダーギャップ指数(146ヵ国中116位)が示しているように、我が国では男性中心の社会がいまだに続いている。 多くの家庭では依然として夫は外に働きに出て、妻は家庭を守るという家父長制の伝統を引き継いでいる。 主人公は義父の介護をしているが、彼女にとっては心から出たものではなく、世間体を気にしての義務であったと思う。日本では今なお女は良き妻、良き母でいればいい、という同調圧力は根強く顕在し、女たちを縛っている。 果たして、女たちはこのまま黙っていればいいのだろうか?

突然訪れた夫の失踪。主人公は自分で問題を解決するのではなく、現実逃避の道を選ぶ。新興宗教へ救いを求め、のめり込む彼女の姿は、日本女性の生きづらさを象徴する。 くしくも、本映画の製作中に起きた安部元首相暗殺事件によりクローズアップされた「統一教会」の問題だが、教会にはまり大金を貢いでしまった犯人の母と主人公の姿は悲しく重なる。

荒れ果てた心を鎮めるために、枯山水の庭園を整える毎日を送っていた彼女だが、ついにはそんな自分を嘲笑し、大切な庭を崩していく。 自分が思い描く人生からかけ離れていく中、さまざまな体験を通して周りの人々と関わり、そして夫の死によって、抑圧してきた自分自身から解放される。 リセットされた彼女の人生は、自由へと目覚めていく。

私は、この国で女であるということが、息苦しくてたまらない。それでも、そんな現状をなんとかしようともがき、映画を作る。たくさんのブラックユーモアを込めて。

 

荻上直⼦
監督・脚本家
千葉県出身。2003年長編映画『バーバー吉野』でデビュー。ベルリン国際映画祭児童映画部門特別賞を受賞。『かもめ食堂』の大ヒットにより日本映画の新しいジャンルを築く。『めがね』はサンダンスフィルム映画祭、サンフランシスコ映画祭などに出品され、ベルリン国際映画祭ザルツゲーバー賞を受賞。『彼らが本気で編むときは、』は第67回ベルリン国際映画祭テディ審査員特別賞、ウディネファーイースト映画祭ゴールデンマルベリー賞など、国内外の映画祭で数多くの賞に輝く。2022年『川っぺりムコリッタ』公開。また、NETFLIXアニメーション「リラックマとカオルさん」の脚本、テレビ東京「珈琲いかがでしょう」、Amazonプライム「モダンラブ・東京」の脚本演出を手掛けるなど、配信やTVドラマでも幅広く活躍している。

 

ストーリー

今朝も、須藤依子(筒井真理子)は庭の枯山水に波紋を描く。夫も息子も家を去った家で、一人、ゆっくりと、静かに。依子の信仰する新興宗教が崇める「緑命水」という水の力で、穏やかに過ぎる依子の日々。

それを突如乱す出来事が起こる。 10年以上も失踪していた夫・修(光石研)が、突然帰ってきたのだ。が、修が手塩にかけていた庭のガーデニングを枯山水にして、緑命水の瓶を部屋中至る所に置き……依子は自分の手で、須藤家を修がいた頃とは全く違う家に変えていたのだった。

修はその様子に戸惑いながらも、自身ががんであることを打ち明け、高額な治療費のかかる治療への援助を依子に求める。しかし依子は、家族を置き去りにした挙げ句、都合良く帰ってきて金銭を求め、デリカシーのない振る舞いをする修に殺意すら覚えるのだった。

そんな折、遠方で就職していた拓哉が恋人・珠美(津田絵理奈)を連れて突然帰ってくる。しかし、珠美は聴覚に障害を抱えており、どうしても珠美を受け入れられない依子は、拭い去れない自身の差別感情に苦悩する。

自身の身に次々と降りかかる、自分の力ではどうにも出来ない辛苦と沸き起こる黒い感情。そして更年期を迎えた自身の体の不調。二重苦に苦しみながらも依子は黒い感情を、宗教にすがり必死に理性で押さえつけようとする。

どうして……でも信じていれば大丈夫……。

須藤家の中、それぞれから広がる感情の波紋……。その波紋がぶつかる時、重なり合う2つの波は時に互いを打ち消し合い、時により高い波を生んでいく。耐え抜いた先にある依子のカタルシスとは――。

 

 

『波紋』予告編

 

公式サイト

 

2023年5月26日(金) TOHOシネマズ⽇⽐⾕、新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー

 

Cast
筒井真理⼦
光⽯研
磯村勇⽃ / 安藤⽟恵 江⼝のりこ 平岩紙
津⽥絵理奈 花王おさむ
柄本明 / ⽊野花 キムラ緑⼦

Staff
監督・脚本:荻上直⼦

エグゼクティブプロデューサー:富⽥朋⼦ 堤天⼼ ⼩⼭洋平 ⾼津英泰 久⽥晴喜 寺井禎浩
プロデューサー:杉⽥浩光 渡辺誠 企画・プロデューサー:⽶満⼀正
撮影:⼭本英夫 照明:⼩野晃 録⾳:清⽔雄⼀郎 美術:安宅紀史
⾐裳:宮本まさ江 ⾐裳(現場) :村⽥野恵 ヘアメイク:須⽥理恵
⾳楽:井出博⼦ 編集:普嶋信⼀ 記録:天池芳美
VFX:⼤萩真司 佐伯真哉 ⾳響効果:中村佳央
助監督:関⾕崇 演技事務:⽵村悠 制作担当:柴野淳
ラインプロデューサー:⾦森保 宣伝:FINOR
映画「波紋」フィルムパートナーズ(テレビマンユニオン U-NEXT 博報堂DYミュージック&ピクチャーズ 讀賣テレビ放送 イオンエンターテイメント ジャストプロ)
製作幹事・制作プロダクション:テレビマンユニオン 制作協⼒:キリシマ1945 配給:ショウゲート

©2022 映画「波紋」フィルムパートナーズ