『アダマン号に乗って』パリのセーヌ川に浮かぶ船アダマン号という名の精神科デイケアセンターに集う、心の病を持つ人々を綴ったドキュメンタリー
パリの中⼼地、セーヌ川に浮かぶ⽊造建築の船アダマン号は、精神疾患を持つ人々のために創造的な活動と社会とのつながりをサポートするデイケアセンター。本作では、アダマン号に朝の光が入る美しい瞬間から、カフェでの食事や語らい、ワークショップやイベントなど様々な活動を通して、この船で過ごす人々の何気ない日常を丁寧に描き出してゆく。
この船の乗船客は、非常に個性的な面々。フレンチロックを熱唱する人、かつてのアーティストになりきって作詞作曲してしまう人、子供のような想像力で、時にプロ顔負けのタッチで絵を描く人……パリという土地柄のおかげか、みな揃って極めて個性的で、それぞれに芸術的である。
監督は『パリ・ルーヴル美術館の秘密』(1990)『ぼくの好きな先⽣』(2002)で知られるドキュメンタリーの名匠、仏ナンシー出身のニコラ・フィリベール。本作で第73 回ベルリン国際映画祭にて⾦熊賞《最⾼賞》を受賞し、俳優であり審査員⻑だったクリステン・スチュワートに「本年度の⾦熊賞をこの作品に贈るのは光栄です」と言わしめた。また、監督と20 年来の交流を持つ配給会社ロングライドが共同製作者として名を連ねた、日仏共同製作ドキュメンタリーである。米映画評論サイトRotten Tomatoesでは100%フレッシュを記録。25カ国以上で公開が決定し、⽇本でも時期を繰り上げて緊急公開されることとなった。
アダマン号で過ごす人々の日々を、そっと静かにただ⾒つめる監督の眼差しは慈愛に溢れている。確かな信頼関係がなければ、アダマン号の人々がその表情の奥に隠れされたありのままの心を吐露していく様子を撮ることなど到底できないだろう。切実な魂の叫びやその人の「実存」を、カメラは図らずもふとした瞬間に、そして容赦なく捉えてしまうものだから。
とかく画一的で非人間的なケアに陥りがちな精神科医療は、特に患者の隔離を行うようになった中世以降の長い試行錯誤を経て、再びオープンで共感的な理想のケアへと辿り着こうとしているのかもしれない。
少なくとも、深刻な⼼の問題やトラウマを抱えた人々が、素晴らしい創造性を内側に秘めていること、また他者と共存し共感し合うことによって得られる何かが人生に希望と豊かさをもたらすということを、本作は如実に伝えている。
本作によって、ここが重篤な心の病を抱える人たちにとってのオアシスとして最先端のモデルケースであるだけでなく、今、まさしくこうした居場所を必要としているのが、私たち自身であることにも気づかされる。ニコラ監督自身がこの場所は「奇跡」だと語るように、アダマン号は、船であるというその形状からしても、現代そして未来を生きる私たちのまさしく“希望の光”としてそこにある。
ニコラ・フィリベール 監督インタビュー
©Michael Crotto
――本作の制作のきっかけは?
私がアダマンのことを初めて知ったのは、15 年以上も前、まだプロジェクト段階だった頃です。1995 年にラ・ボルド精神科クリニックで『すべての些細な事柄』を撮影して以来ずっと親しくしている臨床⼼理学者で精神分析医のリンダ・ドゥ・ジッテールが、当時アダマン創設のエキサイティングな冒険に関わっていたのです。何ヵ⽉もの間、患者と介護者がその主な構成要素を決めるために建築家チームとミーティングを重ねていました。そして、最初はユートピア的な夢だったものが、ついに実現したのです。
――撮影を始めた時の⼼境は?
『すべての些細な事柄』での経験が⼤いに役立ちました。私がある種の先⼊観を払拭するまでには長い時間がかかったのです。当時、精神科医療を題材にした映画を撮ることにとても躊躇していました。病気に苦しむ⼈たちを、搾取することなく、カメラがそれを持つ⼈に与える⼒を濫⽤することなく、撮れるのだろうか? カメラやブーム、マイクを⽬にすることで迫害されているように感じ、錯乱や脱⼒や演技をしかねない⼈たちを。どうすれば苦しみを⾒世物にしたり、⺠話や⾃⼰満⾜のような表現に陥ったりするのを避けられるだろうか? しかし、実際に⾏ってみると、患者との出会いによってすべてが変わりました。答えは彼ら⾃⾝がくれたのです。彼らは私に、⾃分の中にある疑問や逡巡と向き合い、それを克服するよう励ましてくれました。ある⼈は⾔いました。
「私たちから搾取することを恐れているのか? 何を考えているんだ? 私たちは狂っているかもしれないが、バカではない!」と。
何でも言ったり⾒せたりすることがよしとされているソーシャルネットワーク時代の現在、こういった疑問はまさに重要です。映画は秘密を守り、疑問を持ち続けなければなりません。私にとっては、この世界に重くのしかかっている「すべてを見せろ」という要求に抵抗することが重要なのです。
――最初に決意したことは?
何よりも、⾃分に何も押しつけず、⾃由な気持ちでいたかったのです。映画の構築についてはあまり⼼配せず、⼀つの場所と⾒分けがつき繰り返し登場する“⼈物”を⼟台にすれば、ルールにとらわれずに構築できるだろうと確信しました。⼈物を追い、⾒失い、また⾒つけ、ミーティングやワークショップや新⼈の挨拶を撮り、個⼈的な会話を撮り、内輪のやりとりを撮り、受付で、バーで、キッチンで、デッキで、2 つのドアの間で、その場のやりとりや独り⾔、⾔葉遊びをとらえ、他⼈からしたら些細だったり、突⾶だったり、疑わしかったり、あるいは単にバカバカしい小さなことをすべて記録し、それが本作の素材となりました。
私はもともと即興が好きで、時が経つにつれ、即興は私にとって倫理的に必要なものとなりました。何よりも、何も説明しないこと。映画を計画どおりに進めたり、表現しなければならない既成のアイデアに従わせたりするのは避ける。意図的なものがあれば、それを探し出す。
カメラがあると、何も計画どおりにはいかず、いつもカードが入れ替わります。ドキュメンタリーを作るということは、偶発的なこと、予測できないことと向き合うということです。最も美しいシーンは、不意に、意図せずに撮れることが多い。その場にいて、周囲に気を配り、この場所が舞台となり、この男⼥が物語の登場⼈物となり、この⼀⾒無意味な⾏動が本物の物語になると、信じるだけで⼗分なのです。私にとって最も重要なのは、何かが発展する兆しのような、確かな出発点を持つことです。作家のジュリアン・グリーンは「本の中⾝を知るために本を書く」と⾔いました。私にもそれが当てはまります。
――⾃分やカメラの存在を受け入れてもらうためにしたことは?
収穫するには、まず種をまかなければならない。つまり、撮りたい相⼿から信頼を得なければなりません。幸いなことに、看護師や患者の中には私の映画を知っている⼈が何⼈かいました。それは役立ちました。⾃分が抱いている迷いを隠すことなく、逆に皆と共有しながら、時間をかけて⾃分のプロジェクトを説明しました。それも役立ちました。私は⾃分に対してしか要求はしないということを、彼らは理解してくれました。私が流れに⾝を任せるつもりであること、状況や偶発性、彼らの都合に合わせて映画を作るつもりであること、上の⽴場から描くつもりはないことが、最終的には伝わりました。
その結果、かなり⾃発的に受け入れてくれました。好奇⼼もあったのでしょう。多くの⼈が参加したいと思ってくれました。撮られたくないという⼈もいましたが、私たちの存在を敵視してはいませんでした。
――撮影はどのくらいの期間で、どのくらいの映像素材が集まりましたか?
時間をかけて撮影するつもりでしたが、あまり⻑引くと邪魔になりかねません。たまに姿を消して、皆を休ませることも必要です。そのため、撮影はいくつかの段階に分けて⾏いました。結局、コロナの影響もあり、2021 年5 ⽉から11 ⽉までの7 ヵ⽉間と、2022 年初頭の数⽇間でした。やはり邪魔にならないために、⼀⼈で撮影することが多かったです。チームは全部で4 名でした。サウンドエンジニア、カメラアシスタント、インターン、そしてカメラの後ろに私。ミーティングやワークショップの撮影にはブームを使い、2 台のカメラで撮影する⽇もありましたが、より親密な状況では、私⼀⼈で撮影しました。半分くらいは⼀⼈で撮影したのではないでしょうか。結局、100 時間強の映像素材が集まりました。⼤量でしょう。しかし撮影というのは、できるだけたくさん素材を集めて、「あとで編集する時に考えよう」というものではありません。それならずっとカメラを回しっぱなしにしますからね。撮影というのは、その時点から映画を構築し、つながりを考え、整合性を図り、状況を整理するということです。つまり、どう編集するか考えながら撮影するのです。
ニコラ・フィリベール
Nicolas Philibert
監督・撮影・編集
1951 年ナンシー⽣まれ。グルノーブル⼤学で哲学を専攻。ルネ・アリオ、アラン・タネール、クロード・ゴレッタなどの助監督を務め1978 年「指導者の声」でデビュー。その後、⾃然や⼈物を題材にした作品を次々に発表。『パリ・ルーヴル美術館の秘密』『⾳のない世界で』で国際的な名声を獲得。『ぼくの好きな先⽣』はフランス国内で異例の200 万⼈動員の⼤ヒットを記録し世界的な地位を確⽴する。2008 年には⽇本でもレトロスペクティヴが開催された。本作で第73 回ベルリン国際映画祭⾦熊賞(最⾼賞)受賞。
ABOUT THE ADAMANT
アダマンについて
アダマンはセーヌ川右岸のケ・ドゥ・ラ・ラペ、リヨン駅からすぐのところにある。“デイケアセンター”であり、パリ中央精神科医療グループの⼀部だ。このグループには、2 つのCMP(Centres Médicaux Psychologiques:精神科医療センター)、1 つの移動チーム、かつてシャラントン精神病院として有名だったサン=モーリス総合病院付属エスキロール精神科病院の2 つのユニットも含まれる。ゆえに、ここは孤⽴した場所ではない。グループを構成するユニット同⼠がネットワークを形成しているので、患者と介護者は常に移動して⾃分の地図を作り、提供されるさまざまな要素の中から⾃分に合った解決法を⾒つけることができる。
アダマンは、セーヌ川に⾯した⼤きな窓のある表⾯積650 平⽅メートルの⽊造建築だ。建築家は介護者やセクターの患者と密に連携して設計を⾏った。開館は2010 年7 ⽉。フランスの公的な精神科医療はセクターに分かれており、アダマンはパリ中央グループの他の受け⼊れセンターとともに、パリ1〜4 区の患者を受け⼊れている。
毎⽇通う患者もいれば、時々、定期的あるいは不定期にしか来ない患者もいる。年代も社会的背景もさまざまだ。
⼀週間の始まりは、その場にいる全員への朝⾷から。その後、介護者と患者が⼀堂に会する毎週⽉曜のミーティングが⾏われる。誰でも話し合いたいことを議題に加えることができ、ニュースが交換され、プロジェクト(観劇、次回のゲスト、森での散歩、コンサート、展覧会など)が検討される。
ケアチームは、看護師、⼼理⼠、作業療法⼠、精神科医、秘書室、2 名の病院職員、さまざまな経歴を持つ外部協⼒者で構成されている。⽇常⽣活には常に注意が払われ、患者も介護者も皆が協⼒して“⼀緒に作り上げて”いる。
治療的機能にはグループ全体が関与する。肩書、地位、学位、序列、性格、仕事のやり⽅に関わらず、誰でも関与することができる。患者がその⽇バーを担当している⼈(ケースワーカー、看護師、“単なる”インターン、他の患者)に重要なことを打ち明け、翌⽇の診察で精神科医に多くを語らなかったとしても、誰もショックを受けることはない。ケアチームはバラバラに与えられた情報を結びつける⽅法を⾒つけるからだ。
アダマンでは、裁縫、⾳楽、読書、雑誌、映画上映会、作⽂、絵画、ラジオ、リラクゼーション、⾰細⼯、ジャム作り、⽂化観光など、数多くのワークショップが⾏われる。しかし患者は、その場の雰囲気に浸かりながら、
ひと時を過ごしたり、コーヒーを飲んだり、歓迎とサポートを感じたりするためだけに参加してもいい。ワークショップはそれ⾃体が⽬的ではなく、患者が家に引きこもらずに世界と再びつながりを持てるようにするための名⽬に過ぎないのだ。
『アダマン号に乗って』予告編
二コラ・フィリベール監督メッセージ
公式サイト
4月28日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー
監督:ニコラ・フィリベール
2022 年/フランス・⽇本/フランス語/109 分/アメリカンビスタ/カラー/原題:Sur LʼAdamant/⽇本語字幕:原⽥りえ
配給:ロングライド 協⼒:ユニフランス
© TS Productions, France 3 Cinéma, Longride – 2022