『ガール・ピクチャー』大人への階段を上るフィンランドの3人の少女が織り成す、イマを生きる人々のための青春映画
17歳から18歳に差し掛かる頃。思春期の真っ只中であり、人生において最も多感な時期とも言えるだろう。多くの子どもたちが学校や友人関係、恋愛など、あらゆることで思い悩み、一喜一憂する日々を過ごす。『ガール・ピクチャー』は、そんな大人への階段を上るフィンランドの3人の少女、ミンミとロンコとエマが織り成す、イマを生きる人々のための青春映画だ。
監督は、強い女性たちが主導するストーリーを生み出しているアッリ・ハーパサロ。彼女は自身が10代の頃に直面した問題について、
「10代で一番大変だったのは、自分の不完全さを受け入れることだったと思います」
と語る。これは本作の3人にも当てはまることだ。ミンミは一見クールだが、複雑な家庭環境もあり、素直な感情表現がなかなかできない。一方でミンミの親友であるロンコは素直で陽気な性格だが、どんな男性に対しても心がときめかず、自分は周りと違うのではないかと悩む。そして、パーティーをきっかけにミンミと急接近するエマは、スケートのヨーロッパ選手権の選考試合を目前に、調子が振るわなくなり、スケートと恋愛、周囲からの期待の中で葛藤する。
自分に正直でいることは、簡単ではない。ティーンエイジャーなら尚更のことだろう。10代の頃はあらゆることに対して「知っている」状態にあろうとし、自分を大きく見せようとしてしまう。言い換えれば、自分の弱さを受け入れることは多くの若者にとっては難しいことなのだ。ミンミたちもそれぞれの人間関係の中で衝突し、傷つけ合い、失敗しながらも前へと進んでいく。
『ガール・ピクチャー』には、瑞々しい10代の時間が閉じ込められている。本作を観れば、自然と3人の少女を見守るような温かい気持ちに包まれるだろう。それだけでなく、イマを生きる若者、大人たちを鼓舞する作品にもなり得るはずだ。
アッリ・ハーパサロ監督インタビュー
──この3人の少女の物語にしようと思ったきっかけは何ですか?
脚本を担当したイロナ・アハティとダニエラ・ハクリネンは、ミンミとロンコという親友同士を主人公にすることを、着想の時点ですでに考えていました。そしてこの2人それぞれにストーリーラインがあるいうことも。一つは、ミンミとエマのラブストーリーで、もう一つは、悦びを求めるロンコの物語。3人の少女というアイデアは、最初から自然に生まれました。私はすぐにそのアイデアが気に入りました。斬新で共感を呼ぶキャラクター、それも1人だけではなく3人を登場させるという考えが非常に面白いと思ったのです。本作は、新鮮な少女のキャラクターを映画で表現する絶好の機会となりました。
──ラブシーンを含めた様々な場面に関して、3人のキャストとどのような話し合いが行われたのですか?
主役を演じたアーム・ミロノフ、エレオノーラ・カウハネン、リンネア・レイノとは、とても良いチームワークを発揮できました。この3人は、全身全霊で打ち込み、自らの役柄に真実味とこだわりをもたらしてくれました。リハーサルに3ヶ月を費やしましたが、その間、映画のテーマやキャラクターに関する話し合いを重ね、それぞれの場面ごとに細かいリハーサルを行いました。さらに、友情をどのように表現するか、10代の少女たちがどのように一緒に時間を過ごすかなども確認し合いました。10代の少女たちには、肌と肌で触れ合いながらも、プラトニックな独特の接し方があると思います。ラブシーンは、インティマシー・コーディネーターのピア・リックマンの指導のもとでリハーサルが行われました。ピアは、俳優たちが居心地の悪さを感じずに演技をしやすいよう場面設定を保ちながら、親密な行為が行われているという印象を与えるような技術を伝授してくれました。またリンネアはフィギュアスケートの訓練も、もちろん行いました。
──10代の頃、どのような問題に直面しましたか? また今の若者たちの問題と、違いがあると思いますか?
私にとって、10代で一番大変だったのは、自分の不完全さを受け入れることだったと思います。自分が何者であるのかを知らなければならないと思っていましたし、高校を卒業した18歳のころ(この映画の主人公たちもこの年齢です)には、成熟した大人にならなければならないと思っていました。私は学校の成績が良かったし、年齢の割には成熟していました。だから自分に対する期待も大きかったし、完璧主義的なところもあった。後になって、自分の完璧でないところも受け入れるようになりました。完璧でないから人間として興味深い存在になるんですよね。また今は、人が「完全になる」なんて思っていません。「完全になった」とか「準備が整った」と感じることを期待すること自体がバカバカしい。私たちはみんな、進化の過程にあるんですよね。いつになっても自分のアイデンティティを見出せないでいるのかもしれない。
思春期はとても大変だと思うんです。「いろんなことが分かった」段階に到達しなければというプレッシャーを感じながらも、まだ幼いゆえに、それを可能にする視点もない。今の10代の子供たちも、同じプレッシャーを感じていると思います。もしかしたらそのプレッシャーは、私の若い頃よりも強いかもしれませんね。今の若い子たちは、学校でどんなことにフォーカスするかをかなり早い時点で決めなければなりません。私の時代は、もっと一般的な教育でした。だから、もっと早い段階で成功しなければならないというプレッシャーもあります。このプレッシャーのために、多くの若者は燃え尽きてしまうんです。もっと気楽に構えて、自分のペースで成長する余裕と時間を子供たちに与えるべきです。また、自分自身を不完全な人間として愛することが重要なのだと教えるべきです。
──日本の観客にメッセージをお願いします。
まず、この映画の題名についてお話しします。フィンランド語での原題は『Tytöt tytöt tytöt』で、「女の子たち、女の子たち、女の子たち」という意味です。これは、女の子たちが何か悪いことをした時に、見下したり、恥ずかしい思いにさせたりするために言うフレーズです。指を横に振って、「ほらほら、あなたたち、ダメよ。今度は何をしでかしたの?」と言うようにね。実のところ、女の子たちは、自分がしたことに対して、恥ずかしい思いをさせられたり、けなされたり、罰を与えられたりするのです。「間違ったこと」をしないように、一生懸命バランスを取らなければならないのです。この映画に、この題名をつけることで、そのフレーズを新しいトーンに変えたいと思いました。もっと楽しいトーンにするのです。
この映画は、欲望、自立、そして自分が望むような生き方を求める少女たちを蔑んだり罰したりするのではなく、彼女たちに自由を与え、自分自身や性自認を探り求めるよう励ますのです。
監督プロフィール
1977年生まれ。フィンランド出身の監督・作家。ニューヨーク大学ティッシュ芸術学校で芸術修士号、アールト大学の映画学科でテレビと背景美術の学士号を取得し、2016年にデビュー作『Love and Fury』で、自分自身の主張を見いだしていく女性作家の姿を描いた。2019年には、7人の脚本家と監督が製作した、ジェンダーバイアスと構造的な権力の誤用について描かれた『Force of Habit』に参加。この作品は世界で高く評価され、ユッシ賞(フィンランド・アカデミー映画賞)の作品賞、監督賞、脚本賞にノミネート。さらに 2020年には北欧理事会映画賞を受賞した。3作目の長編映画である『ガール・ピクチャー』でも、強い女性を主人公とした作品を作り続けることに力を注いでいる。
ストーリー
クールでシニカルなミンミ(アーム・ミロノフ)と、素直でキュートなロンコ(エレオノーラ・カウハネン)は同じ学校に通う親友。放課後はスムージースタンドでアルバイトしながら、恋愛やセックス、そして自分の将来についての不安や期待にまつわるおしゃべりを楽しんでいる。そんな中「男の人と一緒にいても何も感じない自分はみんなと違うのでは?」と悩み続けていたロンコは、理想の相手との出会いを求めて、果敢にパーティーへと繰り出す。一方、ロンコの付き添いでパーティーにやってきたミンミは、大事な試合を前に、プレッシャーに押しつぶされそうなフィギュアスケーターのエマ(リンネア・レイノ)と急接近する――。
予告編
公式サイト
4月7日(金) 新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMA、アップリンク吉祥寺、アップリンク京都ほか全国順次公開
監督:アッリ・ハーパサロ
脚本:イロナ・アハティ、ダニエラ・ハクリネン
出演:アーム・ミロノフ、エレオノーラ・カウハネン、リンネア・レイノ
2022年/フィンランド/100分/カラー/スタンダード/5.1ch/原題:Tytöt tytöt tytöt/PG12
日本語字幕:松永昌子
配給:アンプラグド
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