『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』は、映画にされるがままになれる映画だ。または、催眠術にかけられる映画だ。

『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』は、映画にされるがままになれる映画だ。または、催眠術にかけられる映画だ。

2023-04-06 14:57:00

『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』は、映画にされるがままになれる映画だ。または、催眠術にかけられる映画だ。映画を観に行き、しばらく経つとスクリーンの向こうから「目を閉じなさい」「目を開けなさい」と指示される。目を閉じている間に、呪いをかけられた映画の中の男女が別人に生まれ変わるのだ。ここで、この映画を楽しめるかどうかの一つの分岐点となる。視覚と聴覚による、ジョージア式マッサージと捉えられる人は、この映画を楽しむことができるだろう。いやいや「別人に変わることが不自然すぎる」と思う人は、この映画の基本のルールを理解しておいた方がいい「世界は、わからないことばかりで、呪いにかけられ別人に生まれ変わるという不思議なことは誰が何と言おうと起きる」ということを。

すれ違いの舞台となったクタイシは、カスピ海と黒海に挟まれた東欧の小国、ジョージア第3の都市。その街並みはとにかく美しく、日本で春から初夏にかけて観るにはぴったりで、ただただ映画に心を委ねていれば、幸せな気持ちになることは保証できる映画だ。

クタイシは、19世紀初頭まで旧王国の首都だった過去を持ち、旧市街には王宮の名残を残す魅力あふれる古都なのだ。中心部には街の象徴であるリオニ川が流れ、白い橋、赤い橋、鎖の橋が架かり、黄色や赤のロープウェイが往来する。リザが働く老舗の調剤薬局、露店と彫刻が並ぶにぎやかな公園、サッカー中継になると人と野良犬で賑わうハチャプリ屋など、カメラはゆったりとクタイシの街並みを映し出す。まるで、路地裏の散策を楽しむかのように。

アレクサンドレ・コベリゼ監督コメント

自分の作品について書きたいことが多すぎて、不思議な気持ちになります。子どもたちの登校風景から映画が始まる理由や、脚本通りに足元のカットから映画を始めなかったことを思い返しては後悔していると書きましょうか。本編を16mmフィルムとデジタルカメラで撮影した理由や、子どもたちが12個ではなく11個のアイスクリームを注文した理由についても語れますよ、少年サッカーチームのコーチ、ボンド・ドラベリゼ (ジョージアの有名な短編映画『Peola』(1970)の役名)が同シーンで言及したように。

俳優についてはいくらでも書けます。ギオルギ・ボチョリシヴィリは私の幼なじみで、キャスティングで最初に顔が浮かぶ俳優です。アニ・カルセラゼはカメラの前に立つために生まれた人物です。オリコ・バルバカゼはスクリーンに登場する時間は短いですが、撮影中、ずっと私を幸せな気持ちにしてくれました。ギオルギ・アンブロラゼは、撮影終了直後にヨーロッパのアームレスリングのチャンピオンになったんですよ。ヴァフタング・パンチュリゼは70年代からジョージア映画界で活躍するスターで、彼と一緒に仕事ができてうれしかったです。

また、私の両親が本作のカメラマンと映画監督として出演しています。映画とサッカーの類似点を指摘しましょうか。2つとも私が大好きなゲームです。リオネル・メッシ選手がゴールを決めるたびに披露するジェスチャーが、私にとってどんな意味があり、映画にどんな印象を与えているかもたっぷり書けるでしょう。 私の兄弟、ギオルギと一緒に音楽製作に没頭したことや、2人の音楽が映画をどのように変化させたのかについても、いくらでも書けます。プロデューサーのマリアム・シャトベラシヴィリとカメラマンのファラズ・フェシャラキと一緒に、クタイシで過ごした時間のことも思い出します。最後にロケ地となったクタイシについて書こうと思いましたが、ある作家はこう書いています。「クタイシについて書く私は誰なのか?」と。

正直なところ、もっと書きたいことがありますが、このまま続けると映画の脚本と同じ長さになりそうと気づきました。何を書いて何を省くか、あるものだけに重きを置いて、他はおざなりにするのは、私がもっともしたくないことです。私が考えるに、この映画が意味を持つとすれば、それは前述したことやより多くのことを分けて語るのではなく、合わせて語ることによるものではないかと。とはいえ、何か書かなければならないので、短い詩を書きました。こちらを映画をご覧になる皆様に贈ります。

僕とあなた

目を開けると、あなたが見える。目を閉じても、あなたが見える。

人はぼくが盲目だというかもしれないけれど、そうじゃない。

ぼくにはあなたが見える、僕にはきみが見える、きみが。

監督プロフィール

トビリシでミクロ経済と映画製作を学んだ後、ベルリンに移りドイツ映画・テレビアカデミー(DFFB)で演出を学ぶ。在学中に監督した、短編『Colophon』(2015・未)オーバーハウゼン国際短編映画祭が批評家の称賛を得た事を皮切りに、その後も複数の短編映画で成功を収める。初の長編映画『Let the summer never come again』(2017・未)は、マルセイユ国際映画祭国際コンペティション部門にてグランプリを受賞、他多数の国際映画祭で賞に輝いた。

 

ストーリー

ジョージアの美しき古都、クタイシ。通勤途中で本を落としたリザと拾ったギオルギ。たった数秒、言葉を交わしただけの2人は夜の道で再会する。あまりの偶然に、名前も連絡先も訊かないまま、翌日白い橋のそばにあるカフェで会う約束をする。しかし邪悪な呪いによって、朝2人は目覚めると外見が変わってしまい、さらにリザは仕事である薬剤師の知識を失う。一方、サッカー選手だったギオルギは自在にボールを操ることが出来なくなった―それでもリザとギオルギは約束したカフェに向かい、現れない相手を待ち続ける。待ち人も姿が変わっているとは知らずに…。

 

予告編

 

公式サイト

4月7日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリー、アップリンク吉祥寺アップリンク京都ほか全国順次公開

監督:アレクサンドレ・コベリゼ
出演: ギオルギ・ボチョリシヴィリ、オリコ・バルバカゼ、ギオルギ・アンブロラゼ、アニ・カルセラゼほか

2021年/ドイツ、ジョージア/ジョージア語/150分/ビスタ/5.1ch/カラー/原題:რას ვხედავთ, როდესაც ცას ვუყურებთ?( What Do We See When We Look at the Sky?)

配給:JAIHO

© DFFB, Sakdoc Film, New Matter Films, rbb, Alexandre Koberidze