『メグレと若い女の死』心揺さぶる深い情感と美しい余韻に満ちたフランス発クラシカル・ヒューマン・ミステリー

『メグレと若い女の死』心揺さぶる深い情感と美しい余韻に満ちたフランス発クラシカル・ヒューマン・ミステリー

2023-03-15 10:30:00

フランスで活躍したベルギー出身の小説家ジョルジュ・シムノンの〈メグレ警視シリーズ〉の中でも、深い余韻に包まれる読後感と評価の高い、1954年発行の小説「メグレと若い女の死」を基に、シムノン・ファンの一人でもあるフランス映画界の名匠パトリス・ルコントによって映画化された本作。

『仕立て屋の恋』(89)や『髪結いの亭主』(90)などを手掛け、ミニシアターブームを牽引してきたパトリス・ルコントの8年ぶりとなるこの最新作は、本国フランスで初登場1位を記録した。『仕立て屋の恋』の原作者でもあるジョルジュ・シムノンと、30年の時を経て、今再びタッグを組んだ形となった。ルコントにとって非常に思い入れ深い作品であるのがわかる。

主人公メグレ警視役を務めるのはフランスの名優ジェラール・ドパルデュー。身長180センチ、体重100キロという原作に忠実な姿で、これ以上ないほどのはまり役だ。「タイピスト!」のメラニー・ベルニエ、「パリ、テキサス」のオーロール・クレマン、「ともしび」のアンドレ・ウィルムらが共演する。

小説〈メグレ警視シリーズ〉は1931年に誕生し、75の長編と28の短編が残存している。これまでも幾度となく映像化され、メグレ警視はジャン・ギャバン、ローワン・アトキンソン、愛川欽也など、さまざまな国の俳優によって演じられてきた。人気アニメ「名探偵コナン」に登場する目暮十三も、このメグレ警視がモデルだという。

かつて『仕立て屋の恋』を観て衝撃を受け、フランス映画にのめり込んだ人にも、ジョルジュ・シムノン×パトリス・ルコントにまったくピンとこない若者にも、等しく味わい深い作品となっているのには、何度も映像化されてきたこれまでの経緯がある。世代を超えて心を揺さぶる普遍的なストーリーの魅力が、作品の輪郭をさまざまな方向へと広げてきたのだ。

ルコント監督はシムノンの作品について「どんな大作家の推理小説を読んでも、これほど純粋に心を動かされたことはない」と語る。それはこの物語が、事件の謎を解き明かす見事さではなく、被害者の生涯に深く寄り添う人間の心を描いたものだから。シムノンのストーリーセンスと1950年という時代背景、ルコントの洗練された映像美は、やはりどこかしら『仕立て屋の恋』を彷彿とさせ、どこにもないメグレを生み出し、ふんわりと香る香水のような不思議な魅力と余韻を放っている。

 

ストーリー

1953年パリ。

ある日、モンマルトルのヴァンティミーユ広場で、シルクのイブニングドレスを着た若い女性の刺殺体が発見される。血で真っ赤に染まったドレスには 5 か所もの執拗な刺し傷。

この事件の捜査を依頼されたメグレ警視は、死体をひと目見ただけで複雑な事件になる予感がするのだった……。

死体に所持品は残されておらず、事件の目撃者も、彼女が誰なのか、どんな女性だったのかを知る者もいない。そんな状況で、身につけていた靴や下着などとは明らかに不釣り合いな高級ドレスが彼女を特定する唯一の手がかりに。

メグレ警視は、身元不明の彼女がどうして殺されなければいけなかったのか、彼女はどんな 人生を送ってきたのかを明らかにするべく、捜査を進めていく 。

この事件に異常にのめり込んでいくメグレ。何が彼をこれほどまでに駆り立てるのか……。

 

 

パトリス・ルコント 監督インタビュー


――シムノン作品との出会いは?

子供の頃、祖母が寝る前に読んでいたメグレシリーズの小説数冊を読んでみたのが最初だと思います。とにかく素晴らしくて、これは自分にとって軽い文学ではないなと衝撃を受けました。その後、リセ(フランスの中等教育機関)の最終学年で、哲学の教師が最初の授業でこう言ったんです。「デカルト、ヘーゲル、キェルケゴール、カントを教材にするが、私にとって最も偉大な哲学者は、ジョルジュ・シムノンだ」と。それを聞いて、この著者に私が感激したのは当然のことだったのだと思いました。この教師が正当化してくれたんです。それからシムノンを定期的に読み続け、どんどん好きになっていきました。

――シムノン作品のどういった部分に惹かれたのですか?

最初に気に入ったのは、映画的とも言える文体でした。シムノンは、普通の人や一見特に問題はないが裏がある人々をよく登場させます。雰囲気、場所、感情、トラブル、衝撃的なことが多い、この“配役”に心を奪われ、感動しました。どんな大作家の推理小説を読んでも、これほど純粋に心を動かされたことはない。言葉の構成、簡潔さ、すばらしい世界観や奇妙な雰囲気、質素な人物たちを、最小限の言葉で説明するシムノンの才能も感じていました。彼の本は200ページを超えることがなく、実に模範的に書かれているんです。

――30年前にも『仕立て屋の恋』で彼の作品を映画化していますよね。

好きな監督のひとりであるジュリアン・デュヴィヴィエの『パニック』(46)がシムノン原作の映画だと知っていたから、冗談半分で『パニック』のリメイクを撮りたいと言ったのですが、『タンデム』(87)のあと、プロデューサーのフィリップ・カルカソンヌが「リメイクを作る必要はないが、新しい脚色で撮ってみよう」と言ったことがきっかけです。物語にまず惹きつけられていましたが、後にシムノン原作だと知って驚き、もちろんすぐに飛びつきました!

――脚本において、特に何にこだわりましたか?

映画学校の学生だったころ、ジャン=クロード・カリエールが講師に来て、オクターヴ・ミルボー原作、ルイス・ブニュエル監督の『小間使の日記』(64)で脚本を書いた時の思い出を話してくれたことがあるんです。「好きな本の脚色を成功させるには、まず何度も読み込む。その後、本を閉じたら決して開けてはいけない」というのがモットーだったそうです。この助言に従い、私たちはまず本の中で最も重要な出来事から、忠実かつ遊び心を持って脚本を書きました。息子として父親の作品の“番人”であるジョン・シムノンが私たちの自由な解釈を、父親も気に入ってくれるだろうと言っていたらしい。彼は『仕立て屋の恋』も、気に入ってくれているんです。

――自由な解釈について詳しく伺えますか?

主軸は、誰の記憶にもない死んだ若い女性被害者が、一体何者なのかを調べるメグレの捜査です。まずはそこに集中できるように、他の登場人物をたくさん消しました。さらに、私が制作する以前から定着していたメグレの出で立ち、帽子、パイプ、マントを身につけたメグレ警視というイメージを取り払うために、医者が禁煙を勧めるという単純なアイデアを共同脚本であるジェローム・トネールと一緒に思いつきました。名残り惜しそうにパイプをいじるシーンはありますが、ドパルデューが演じるメグレ警視を重視し、従来の人物像から遠ざけました。

――表現主義スタイルのような画面も印象的で、幻想的なパリが描かれていますね。

本と同じく、映画の時代設定も1950年代です。枠や強い照明を使い、演出、照明、小道具、衣装において、映画を様式的にしたかったのです。『仕立て屋の恋』は、時間を超越した映画で、そういう設定をあえてぼかして楽しみましたが、今回は映画の年代設定の明確化に少しこだわりました。時代錯誤な小道具はないですが、偏執的な場面作りも避けました。

――最初のシーンから、ジェラール・ドパルデューは画面を埋めつくすような重厚な存在感を見せています。

マラルメの詩の中に、メグレ警視を演じるドパルデューをうまく描写している一節があります。「陰惨たる闇から落ちてきたこの静かな意志の塊」。私は自分で映像枠まで決めているから、この俳優を撮影することに、とても感激します。ドパルデューから醸し出される才能は留まる所を知らない。カチンコが鳴る前まで騒々しいのに、一旦「さあ、ジェラール」と目くばせを送った瞬間、彼は別人になる。役者たちが最高のパフォーマンスをするのは、最初の1回目か2回目というのが私の持論。ドパルデューはこの方法を大変気に入り、この1回の撮影に多くのプランを持って臨みました。

――彼のようなベテラン俳優にどういった指導をしましたか?

お互いに尊敬し合っていました。撮影時、私はあまり指示を出していません。彼は役への理解が深く、ほとんど指導する必要がなかった。彼は役作りをしないと言われていますが、それはまったくの誤りです。「メグレ」では、役に活力を与えてくれました。私たちには信頼関係があったので、シーンの声色を変えるよう提案すると、演技が大好きな彼はすぐに応じてくれた。自分と等身大の人物の役を演じることを本当に気に入っていました。

――ドパルデューの共演者には、どのような人物を望んでいましたか?

華々しいキャスティングを望みましたが、誰もが知る有名な俳優は不要でした。まず、ジャニーヌ役のメラニー・ベルニエ。彼女のことはよく知っていたし、庶民出の若者で、ブルジョワ社会に通い出した途端に格好をつけるパリっ子という役にピッタリでした。メグレ夫人役のアン・ロワレもすぐに思いつきました。落ち着いた人物が適任だと思い、劇場でアンを見た時、彼女だ!と思いました。さらに若い女優2人が必要でしたが、ジャド・ラベストは完璧でした。ドパルデューの演技が始まると、その瞬間に空間を支配し少なからず相手は圧力を感じるはず。でも、彼女は謙虚でいながら、ドパルデューに威圧されることなく堂々と戦っていました。とても良い女優ですよ。

――ブリュノ・クーレによる音楽も素晴らしいです。彼と作業するのは初めてですね。

前から彼の作品を尊敬していて、機会があったら一緒に仕事をしたいと思っていました。私は音楽には疎いですが、自分の好きな音楽と嫌いな音楽の区別はつきます。音楽家と仕事をする度に、音楽に望むことを言葉に起こそうとするんです。少し不思議な霧のように、地面を徘徊するような音楽、あるいは頭上を漂う音楽を望む場合も、その空気の楽譜を書く。シナリオも使い、口頭でも伝えます。今回彼には、シンフォニー的な音楽でなく、削ぎ落とされた音楽を求めました。『メグレと若い女の死』という映画は、死んだ若い女性の身元を捜査するという内容です。メグレの胸中では、静かでありながら頑ななものがあり、音楽でもその心情を表現して欲しかった。同時に、若い女性の死に対して少し感情的に、死者の思い出に寄り添うような優しい音楽も望みました。

パトリス・ルコント
Patrice Leconte
監督・脚本
1947年、フランス・パリに生まれる。IDHEC(フランスの映画学校)で学び、5年間漫画家、イラストレーターとしての活動を経て映画監督に。『タンデム』(87)で批評家らから注目され、日本で初めて劇場公開された『髪結いの亭主』(90)が大ヒット。その前作である『仕立て屋の恋』(89)もその後に日本で公開。以後、ミニシアターブームを牽引する存在となった。『リディキュール』(96)では第69 回アカデミー賞Ⓡ最優秀外国映画賞にノミネート。新作が公開する度に注目されるフランス映画界の巨匠。

 

『メグレと若い女の死』予告編


公式サイト

 

2023年3月17日(金) 新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー

 

Staff
原作:ジョルジュ・シムノン「メグレと若い女の死」
監督:パトリス・ルコント「暮れ逢い」「髪結いの亭主」「仕立て屋の恋」
脚本:パトリス・ルコント、ジェローム・トネール「暮れ逢い」「ぼくの大切なともだち」「親密すぎるうちあけ話」
撮影:イヴ・アンジェロ「伴走者」「再会の夏」
音楽:ブリュノ・クーレ「エヴァ」「ソング・オブ・シー 海のうた」

Cast
ジェラール・ドパルデュー「シラノ・ド・ベルジュラック」
ジャド・ラベスト、メラニー・ベルニエ「タイピスト」
オーロール・クレマン「パリ、テキサス」
アンドレ・ウィルム「ともしび」

2022年 / フランス / 原題: Maigret / 89分 / カラー / シネスコ / 5.1ch

日本語字幕:手塚雅美 配給:アンプラグド
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