『ベネデッタ』実在の修道女をテーマに宗教、セクシュアリティ、教会の政治的駆け引きを見事なバランスで描いたポール・ヴァーホーベン監督最新作

『ベネデッタ』実在の修道女をテーマに宗教、セクシュアリティ、教会の政治的駆け引きを見事なバランスで描いたポール・ヴァーホーベン監督最新作

2023-02-17 11:28:00

17世紀に実在した修道女、ベネデッタ。彼女は17世紀の男性社会において才能や幻視によって権力を手にし、修道院長にまでのし上がった。『ベネデッタ』は、そんな信じがたい事実に基づいた鮮烈な衝撃作だ。

監督は『エル ELLE』(2016)や『氷の微笑』(1992)でも知られるポール・ヴァーホーベン。彼の手掛ける、性別に関係なく人々を虜にする予測不能な女性たちに今回仲間入りするのは、『エル ELLE』にも出演しフランスの国民的女優でもあるヴィルジニー・エフィラ。歴史上初の⼥性同⼠の同性愛裁判記録『ルネサンス修道⼥物語―聖と性のミクロストリア』(J.C.ブラウン著/1988 刊)を読んだヴァーホーベンがベネデッタの人物像に感銘を受け、映画化に至ったという。本作は2021年の第74回カンヌ国際映画祭にて初上映され、⼤きな話題をさらった。

ベネデッタは幼い頃からキリスト教への強い信仰心を持ち、奇蹟とも思われる現象を起こしていた。それは修道院に入ってからも変わることはなく、ついには手足に聖痕を受け、キリストの妻に迎えられたと主張する。ベネデッタを聖女として崇める修道女の中には、疑惑の念を持つ者もいた。聖痕は自ら傷付けたものであり、全ては自作自演の嘘であると。ところが、ベネデッタが嘘をついていると決定づける証拠はどこにも存在しなかった。容易いことでは決して崩れることはない、まさに彼女の才能は唯一無二だった。

そこでベネデッタの前に現れるのがバルトロメアという自由奔放で欲求に対しても素直な女性だ。自分と対極的な存在であるバルトロメアを前にして、ベネデッタの強固な精神に綻びが生じ、彼女への愛や肉体的欲求が芽生え始める。ベネデッタが幼少期から大切にしていた聖母マリアの小彫像を性行為の道具として使う場面は、ベネデッタの人間としての本能と信仰心との葛藤を描いたショッキングなシーンと言えるだろう。

冒頭でも触れたように、バルトロメアとの触れ合いがきっかけでベネデッタは同性愛の裁判にかけられる。最大の危機に直面し、ベネデッタはどんな行動を取るのか。
そして、そもそも彼女は聖女なのか、それとも狂女なのか。どちらの側面も兼ね備えているのかもしれないが、いずれにせよベネデッタは事実として権力を手にし、民衆の支持も得ていたのだ。ヴァーホーベン監督の奇想天外な演出によってベネデッタという一人の魅惑的な女性の人物像・半生を描いた本作は、観る者に衝撃を与えること間違いないだろう。

 

ポール・ヴァーホーベン監督インタビュー


© Lex de Meester

──最初にベネデッタの物語について知った経緯を教えて下さい。

最初はオランダ人脚本家のジェラルド・ソエトマンから教わった。30年ほど前に執筆されたジュディス・C・ブラウンの著書『ルネサンス修道女物語―聖と性のミクロストリア』を渡されたんだよ。私たちはこの本の映画化の作業に取りかかったが、セクシュアリティやエンディングなどについて意見が合わなくてね。50年間共に仕事をしてきて、すでに意見の不一致については経験していたが、この作品については妥協点がまったく見つからなかった。

ジェラルドが匙を投げると、私はアメリカ人脚本家のデヴィッド・バークに声をかけた。『エル ELLE』の脚本を書いた人物だ。デヴィッドはハーグの私の家にやってきて、ブラウンの本について語り合い、どのシーンを映画にするか決めることができた。その時、原作にはない暴動のシーンを映画のラストに入れることにしたんだ。それからデヴィッドは脚本を執筆し、宗教、セクシュアリティ、教会の政治的駆け引きを見事なバランスで描いた。これは簡単なことではないよ。

──この物語で特に関心を引かれたのはどんな点ですか?

独特な性質だね。ジュディス・C・ブラウンはフィレンツェの文書館で別の企画のリサーチ中、この物語に遭遇した。彼女はある箱を開いてベネデッタの裁判記録を発見したんだ。17世紀初めに行われたものだよ。彼女は大いに心惹かれた。珍しい記録だ。キリスト教の歴史においてレズビアンの裁判があったなどという記録は他にないからね。それから私は、裁判の記録や本書のセクシュアリティの描写がとても詳細なことにも感銘を受けたんだよ。元の文書では、ベネデッタとベッドを共にしていた修道女のバルトロメアが細かな性的描写をしていて、裁判所の事務官はショックを受けたあまり、ほぼ記録を書けなかったんだ! 彼は空白を残し、言葉を棒線で消し、書き直した。バルトロメアは彼女たちがどんなふうにお互いを舐め合ったかという露骨な証言をしたんだ。実に興味深い。

私の動機付けとなった第3の側面は、ベネデッタがテアティノ修道院でも、ペシアの町でも本物の権力を手にした17世紀の女性だったという点だ。ベネデッタは聖人としても修道院長としても有名だった。才能、幻視、狂言、嘘、創造性で権力を手にする立場にのしあがった。手段はどうあれ、完全に男が支配する社会と時代に彼女はそこまで登り詰めたんだよ。女には何の価値もなく、男に性的喜びを与え、子供を産むだけの存在だった時代だ。女たちは権力を手に入れるなど、まず無理だったんだ。

──この物語を通じ、私的な信仰と、権力構造の一員としての聖職者との間にある葛藤も描こうとしたのでしょうか?

それは最初に私の意図したことではなかったけれど、そのテーマはベネデッタの物語に本質的に備わっている部分だね。彼女の事例を詳しく見れば、明らかに熱心な信者だとわかる。彼女のイエスの幻視は「本物」だったかもしれない一方で、彼女がほしいものを手に入れる手段でもあった。ベネデッタは本気で自分はイエスの花嫁だと信じていたんだよ。毎回彼女は群れを導く羊飼いとして彼を「見た」。ヨハネによる福音書のイメージそのままにね。

バルトロメアが修道院にやってきた瞬間から、映画のだいたい60分間は次第に具体的になっていく彼女たちのレズビアンとしての恋愛に捧げられている。バルトロメアが初めてベネデッタの尻に指を滑り込ませた後に、ベネデッタは幻視を見る。蛇が中心のものだ。この蛇はバルトロメアを象徴しているんだ。危険、重大な罪、ベネデッタがしてはいけないことをね。女同士のセックスは厳しく禁じられていた。ベネデッタがイエスを「見る」と、彼女はバルトロメアに抵抗して彼と一緒にいるべきだと言われる。その時点でのベネデッタはまだ、当時の宗教的な正統性に従っているんだ。イエスに従い、決まり事を受け入れている。愛の鞭として、バルトロメアの両手を煮えたぎる湯に入れさせ、彼女を罰するほどだ。ついにはエロティックな誘惑があまりに強くなる。そんな時、ベネデッタはまた幻視を見るんだ。その中で、イエスは今までの幻視は偽者のイエス、詐欺師だと言う。ベネデッタの幻視は状況次第で彼女を反対方向へと導くんだよ! 

その後、別の幻視でイエスはベネデッタに裸になれと命じ、恥ずかしがることはないと言う。ベネデッタの幻視は彼女に必要なものを与えるんだ。彼女には常に自分だけの私的なイエスがそばにいる。もちろん、そのイエスは彼女の脳が作り出したものだ。ベネデッタの精神が幻視を生み出すんだが、心からそれを信じているんだよ。私の考えでは、ベネデッタはバルトロメアと性的関係を持つことを許すイエスを作り出したんだね。

──あなたは宗教の中心的課題のひとつ、性的な欲望と喜び、そして肉体、特に女性の肉体の拒絶を描きたかったのでしょうか?

教会は性的な関係を禁じていないが、聖職者については別だ。カトリックや他の宗教を攻撃する目的で本作を作ったのでもない。けれども、私たち人間は根本的に動物であると私は思っている。そうだろう? 私たちには肉体と本能がある。ベネデッタは肉の欲求に抵抗しないが、どうして抵抗しなければならないんだ? そんなのは馬鹿げているよ。基本的に、人間というのは霊長類だった。アダムとイヴ、禁断の実としてのリンゴ、蛇、善と悪の知恵の木――どれひとつとして存在しなかった! 知恵と学習は良きものだよ。科学は真実を語り、伝説は物語を語る。私はそんなふうに見ているんだ。もちろん、私の映画にはそこが表現されている。私は特にセックスに関して宗教が禁じている部分を描くが、そうした禁止に賛成はしないよ。

──『ベネデッタ』はフェミニスト映画でしょうか?

私は活動家の映画を作るつもりはなかったが、この物語はフェミニストのものだと見なされる可能性があるのは事実だね。映画作りの時に活動家の用語において考えることはないよ。私はストーリーにおける物語としての、そして主題としての問題が何なのかに関心がある。今回の場合はベネデッタだ。私の映画の多くは女性が中心にいるんだ。

──つまり、ベネデッタは『氷の微笑』、『ショーガール』、『ブラックブック』、『エル ELLE』のヒロインたちの親戚でしょうか?

そうだよ。戦後、私は小学校、中学校、高校、大学と進み、常にクラスには少女たちが、後には若い女性たちがいた。だから、男にできること、女にできることに違いはないという概念を持って成長した。違いと言えば、生物学的な差と子供を産む能力があるという点だけだ。実際、少女たちは私よりも優れていることが少なくなかったよ! そんなふうに成長できて私は嬉しい。ごく幼い頃から女は男より優れているとまでは言わなくても、男と同等の存在だと意識できてね。

──『ベネデッタ』は私たちの生きる現代にも通じる自由についての映画だと言うのは妥当でしょうか?

いいんじゃないかい? もちろん、そう言って構わないんだが、私はそんなふうに本作を見なしていなかった。企画を始める時は、なぜそれを作るのかよくわかっていない。そうした質問を自分に尋ねたりしないからね。先ほども言ったように、私は物語の大胆さと独特さ、キリスト教、そしてレズビアンのセクシュアリティの組み合わせに惹かれた。そしてこの主役のキャラクターに関心を持った。自分では自覚することなく人を操るということはありうるのだろうかという問題も相まってね。さらに、私は常にイエスに関心を持っていた。彼についての本を執筆したくらいだ。本作は宗教に対する私の関心だけでなく、宗教的な現実ついてのわたしの疑問についても描いている。すべては長いこと私の頭から離れなかったものだが、「自由についての映画を作ろう」とは思わなかった。

監督プロフィール

1938年7⽉18⽇オランダ・アムステルダム出⾝。⼤学では数学と物理学を学ぶ。オランダ海軍に従事した後、ドキュメンタリーを制作するようになる。1971年「Wat Zien Ik?」で初の映画監督を務め、続く1973年『ルトガー・ハウアー/危険な愛』で1974年アカデミー賞外国語映画賞にノミネート、1977年には『⼥王陛下の戦⼠』でゴールデングローブ賞にノミネートされ、世界的な評価を得る。1985年『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』でアメリカに渡り、『ロボコップ』(1987)『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997)などヒット作を⼿掛ける。『トータル・リコール』(1990)ではアカデミー賞視覚効果賞受賞。1992年『氷の微笑』では過激なシーンも話題となりシャロン・ストーンを⼀躍スターに押し上げた。1995年『ショーガール』ではラジー賞のワースト監督賞を受賞。その際同賞史上初めて監督⾃らが授賞式に出席しスピーチも⾏った。2006年『ブラックブック』以降はオランダに戻り、2016年『エル ELLE』では第69回カンヌ国際映画祭コンペティション部⾨に出品。主演のイザベル・ユペールの演技が賞賛され、第89回アカデミー賞主演⼥優賞にノミネートされた。

 

ストーリー

17世紀イタリア。幼い頃から聖母マリアと対話し奇蹟を起こす少女とされていたベネデッタは6歳で修道院に入る。純粋無垢なまま成人したベネデッタは、ある日修道院に逃げ込んできた若い女性を助ける。様々な心情が絡み合い2人は秘密の関係を深めるが、同時期にベネデッタが聖痕を受け、イエスに娶られたとみなされ新しい修道院長に就任したことで周囲に波紋が広がる。民衆には聖女と崇められ権力を手にしたベネデッタだったが、彼女に疑惑と嫉妬の目を向けた修道女の身に耐えがたい悲劇が起こる。そして、ペスト流行にベネデッタを糾弾する教皇大使の来訪が重なり、町全体に更なる混乱と騒動が降りかかろうとしていた…。

 

予告編

 

公式サイト

2月17日(金) 新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺アップリンク京都ほか全国公開

監督:ポール・ヴァーホーベン
脚本:デヴィッド・バーク、ポール・ヴァーホーベン
原案:ジュディス・C・ブラウン『ルネサンス修道⼥物語―聖と性のミクロストリア』
出演:ヴィルジニー・エフィラ、シャーロット・ランプリング、ダフネ・パタキア、ランベール・ウィルソン

2021年/フランス・オランダ/仏語・ラテン語/131分/DCP/5.1ch/スコープサイズ/原題:BENEDETTA/R18+

配給:クロックワークス

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