『コンパートメントNo.6』メランコリーとユーモアが冴えるフィンランドの新星ユホ・クオスマネンが贈る心震える愛の物語
寝台列車の一室に乗り合わせた男女の旅路を通して、その狭い空間で繰り広げられる2人の心の揺れと変遷を描いた物語。縁もゆかりもない粗野で不躾な男に対し悪意しか持たなかった主人公が、列車の長旅を共にする中で、次第に心を開いてゆく。2人は決裂したかと思うと次の瞬間歩み寄り、を繰り返し、時に氷が割れるような険しい時間が、時に氷を溶かすようなあたたかな時間が流れる。
ラブストーリーと呼ぶにはいろいろと型破りで、冒頭はどことなく不自然に見えるのに、旅という非日常によって2人のプリミティブな感情が炙り出されるにつれて、最初に感じた違和感すらもリアルに感じられ、気づけば心奪われてしまう。それはどこか、この2人にラブストーリー(というお決まりのパターン)を超えた、根源的な人間同士の深い愛と共感を見るからなのかもしれない。
監督を務めるのは、カンヌ映画祭ある視点部門で長編デビュー作『オリ・マキの人生で最も幸せな日』がグランプリを受賞し、監督として華々しいスタートを切った、フィンランド出身のユホ・クオスマネン。ロサ・リクソムの同名小説が原案となった本作で、長編監督第2作目にしてカンヌ映画祭コンペ部門に選出され、グランプリを獲得。フィンランド・アカデミー賞と言われるユッシ賞では作品賞・監督賞・主演女優賞など7冠を制し、アカデミー賞国際長編映画賞フィンランド代表に選出され、またゴールデングローブ賞非英語映画賞にノミネートされ、世界中の映画祭で17冠に輝いた。
主人公のラウラをセイディ・ハーラ、リョーハをユーリー・ボリソフが演じる。イリーナには『動くな、死ね、甦れ!』のディナーラ・ドルカーロワ。
監督は本作について次のように語る。「本作は、映画制作のプロセスを思い起こさせるものだと思います。私たちの登場人物と同じように、映画製作者も落ち着きがなく、常に移動しています。どこかからやってきて、どこかを目指し、おそらく実際に到着することはできないでしょう。しかし、一日が終わると、海を見ながら呼吸を整え、誰かの肩に寄りかかって眠りにつく、短いつかの間の時間があります。そして目を覚ますと、みんないなくなっている。素敵な時間だったけど、もう終わり、次のステップに進む時だ」と。
確かに、旅と映画は似ているのだろう。だから、人が心を通わせるプロセスといった見えないものを表現するのに、汽車の長い旅路とコンパートメントがうってつけだったのだ。ロシアの寒い土地を走る汽車の狭いコンパートメントの中(あるいは車の中)だからこそ、互いの息遣いや些細な心の振動の一つ一つが伝わってくる。2人の危うい関係性に呼応するように、観ている私たちの古傷がヒリヒリとうずいたりもする。
映画にしかできないことがあるとすれば、実際に見えている互いの距離と、見えない心の距離と移りゆく関係性、それを同時に、重層的に描き出すこと。その見事な成功が、この映画の凄さであり美しさである。
ストーリー
モスクワに留学中のフィンランド人学生ラウラ。彼女の、古代のペトログリフ(岩面彫刻)を見に行く旅は、恋人にドタキャンされ、急遽一人旅に。そんな彼女が寝台列車6号コンパートメントに乗り合わせたのは、モスクワのインテリたちとは正反対の、粗野なロシア人労働者リョーハ。最悪の出会いから始まった、二人の長い旅の行方は……。
ユホ・クオスマネン監督インタビュー
――この小説を最初に知ったきっかけは? また、この物語の面白さの核心は何だったのでしょうか? 脚本化にあたって、重要な変更点はありましたか?
2010年に発売されたとき、妻が読んでいたんです。私は裏表紙をちらっと見て「これ、映画化できるかな」と言ったら、「いいんじゃない、面白い話だから」と。確かに面白かったのですが、本ですから、いろいろな方向に話が広がっていくし、映画化するにしても、どの方向に持っていくか、という問題が出てきます。本を読み終えたとき、「これは映画化するにはハードルが高いな」と感じました。しかし、時間の経過と私の記憶力の無さによって、この本の大部分を「失くして」しまい、再び可能性を感じ始めたのです。そうして、もう一度読んでみて、いや、無理だと。
しかし、ある時、この本の著者であるロサ・リクソムさんとイベントで出会い、映画化の可能性について話をしました。私が自分の考えや疑問を伝えると、彼女は「この本でやりたいことをやるのは自由だ」と言ってくれたんです。それで、そうしました。だから、最終的にはロサ・リクソムさんの小説が原作というより、それにインスパイアされた作品になりました。
ロケハンとキャスティングの後、すべてが変化していきました。テキストから大きく離れることになったのです。ルート、年代、それに国もソ連からロシアに変え、男性の年齢も変え、名前もヴァディムからリョーハに変えました。 (リョーハは、ロケハン中に電車の中で出会ったクレイジーな男の名前です。) もう、何を変えたのかが問題にならないくらい、いろいろと変えました。
――最初の長編作品『オリ・マキの人生で最も幸せな日』はラブストーリーでしたが、これまでと違う本作にどんな興奮を覚えましたか?
基本的には同じプロセスで、なぜこの作品に興味を持ったのか、その真意は何なのかを探ろうとしました。『オリ・マキの人生で最も幸せな日』はラブストーリーですが、期待に応えることの難しさを描いた物語でした。オリは世界タイトルマッチで、私はデビュー作で、同じではないけれど、意外と共感できる気持ちが多かったのです。ある程度の距離があったほうが、個人的な感情と向き合いやすいんです。60年代のボクサーの話は、僕にとっては十分な距離でした。
映画作りは、とてもオープンで変化に富んだプロセスです。何か奇妙なもの、かすかな光に過ぎないものに向かっていくのです。それは長い間、謎のまま進みますが、続けていくうちに、自分の魂に響くものを見つけることができるのです。それは本当に無意識のうちに行われていることです。それができたとき、何があったから続けられたのかがわかるかもしれない。私は、最初の過程でこの映画がどんな映画なのかを説明する瞬間が嫌いです。資金提供者を納得させるためには良い答えが必要ですが、実はその答えは自分でもわかっていないのです。
――両作品とも、時代を超越した雰囲気を醸し出していますね。この「クラシック感」は、意図的に求めているのでしょうか、それとも自然に身に付いているのでしょうか?
ミカエル・カボン(フランスのジャーナリスト・小説家・政治家)は、「ノスタルジアとは瞬間的で脆い感情体験のことであり、失ったものや手に入れられなかったものを手に入れたり、会えなくなった人に会ったり、今はホットヨガスタジオになっている名高いカフェでコーヒーを飲んだりすること。それは、世界の小さな失われた美しさが一瞬にしてよみがえるときに、あなたを襲う感覚である」と言いました。私は常々、ノスタルジックではないと言い続けてきましたが、私の映画の感情の核は、ほとんどこれです。だから、もしかしたら、私は少しノスタルジックで、この「クラシック」な感じはここから来ているのかもしれません。
――この映画はまた、スクリーン上の異なる種類の「カップル」が描かれています。観客はスクリーン上のロマンス、あるいはある種の性的緊張を期待するように意図されていますか?
ヴィム・ヴェンダースは、「セックスとバイオレンス(暴力)は自分の趣味ではない、サックスとバイオリンが好きだ」と言っていました。そして、私はこのどれにもあまり興味がないのです。特にサックスには興味がない。私が本当に興味を持ったのは、性的な緊張を超えた感情です。
ロマンチックなラブストーリーというのは、往々にして狭量なもので、二人は恋に落ちるのか? 恋に落ちたら、いつセックスをするのか。この手のストーリーは、視聴者の覗き見趣味を利用したもので、チケットは売れるが、本当に面白いのか? 誰が誰とセックスしようが、私には関係ない。私の興味は、様々な人間関係の裏にある複雑な感情であり、なぜそのように感じるのかを理解したいのです。
この物語のテーマは「つながり」で、ラウラとリョーハは性的な欲求というよりも、もっと深いところで何かを共有していると思うんです。政治に対する考え方が同じとか、そういうことよりも、同じような子供時代を過ごしたというような。感情的なレベルではつながっていますが、文化的な基準を共有しているわけではありません。
――映画の大半を列車内で撮影するというのは、どのような制約があったのでしょうか。
紙の上のアイデアの段階ではずっと良かったのです。実際には、音は隠しマイクで録音し、スタッフは本当に少人数で、すべてが地獄のように遅く、この狭い空間で十分な酸素もなく、匂いもひどかった! しかし、最終的には、このような親密な方法で撮影できたことに、スタッフひとりひとりに感謝しています。何か特別なものを撮影できたと思います。あの映像の中には、本当の人生があるのです。
――ペトログリフという古代の表現というコンセプトも、この映画のエッセンスになっていると思いますが、どのように感じていますか?
ペトログリフは、過去からの永続的な痕跡です。ラウラは、ペトログリフを見ることで、何か永久的なものに触れることができるのではないかと考えています。消えゆく瞬間の連続でしかない人生において、彼女はこれを見ることで気分が良くなると思っている。しかし、ペトログリフはただの冷たい石であり、そこから何かを感じることはできない。私たちが持っているのはその儚い瞬間だけで、重要なものはすべて一時的なものなのです。永遠のものを追い求めると、今あるものを失ってしまうかもしれない。
一方、ペトログリフは死に対する恐怖も表しています。私たちはただ永遠に消えてしまうのではなく、記憶されることを望んでいるのです。人々は、自分が存在した証として世界に足跡を残すために、狂った彫像や彫刻を作る。しかし、この旅でラウラとリョーハが経験することは、2人の心に深い足跡を残すことになる。『Compartment no.6』は、私のペトログリフです。私が死んだ後も、ずっと残っているといいんだけど。私たちはそこにいて、そのシーンを撮ったのだ、と言うためだけに。私たちは生きていて、とても楽しかった。
ユホ・クオスマネン
監督
1979年フィンランド・コッコラ生まれ。ヘルシンキを拠点に活動する映像作家。アールト大学のヘルシンキ映画学校2014年に卒業。在学中の中編『Taulukauppiaat(ペインティング・セラーズ)』(2010)が次世代の国際的映画製作者を支援するために設立された財団によるカンヌ映画祭シネ・ファウンデーション賞を受賞。フィンランド・アカデミー賞(ユッシ賞)でも監督賞など4部門にノミネートされた。監督長編デビュー作『オリ・マキの人生で最も幸せな日』(2016)がカンヌ映画祭ある視点部門でグランプリを受賞。本作でカンヌ映画祭コンペ部門のグランプリに輝いた。前衛的なオペラや演劇の芸術監督や、生演奏によるサイレント短編映画を制作したり、生まれ故郷のコッコラで開催される小さな映画祭の共同設立者でもある。
『コンパートメントNo.6』予告編
公式サイト
2023年2月10日(金) 新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー
2023年2月24日(金) アップリンク京都
監督・脚本:ユホ・クオスマネンJuho Kuosmanen 『オリ・マキの人生で最も幸せな日』
原案:ロサ・リクソムRosa LIksom フィンランディア文学賞受賞「Compartment No.6」
脚本:リヴィア・ウルマンLivia Ulman、アンドリス・フェルドマニスAndris Feldmanis
製作: ユッシ・ランタマキJussi Rantamäki、エミリア・ハウッカ Emilia Haukka (Aamu Film Company)
撮影: J=P・パッシJ-P Passi 『オリ・マキの人生で最も幸せな日』『パンク・シンドローム』
編集: ユッシ・ラウタニエミJussi Rautaniemi 『オリ・マキの人生で最も幸せな日』
出演
ラウラ:セイディ・ハーラ Seidi Haarla
リョーハ:ユーリー・ボリソフYuriy Borisov
イリーナ:ディナーラ・ドルカーロワDinara Drukarova
車掌:ユリア・アウグJulia Aug
リョーハの養母:リディア・コスティナLidia Kostina
ギターを持ったフィンランド人の男:トミ・アラタロTomi Alatalo
『コンパートメントNo.6』2021年/フィンランド=ロシア=エストニア=ドイツ/ロシア語、フィンランド語/107分/カラー/シネスコサイズ/原題:Hytti nro 6 英題:Compartment Number 6/映倫区分:G/後援:フィンランド大使館/配給:アット エンタテインメント
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