『エンドロールのつづき』チャイ売りの少年が映画と出会い、やがて映画人生へと歩み出す本作監督の少年時代を描いた実話

『エンドロールのつづき』チャイ売りの少年が映画と出会い、やがて映画人生へと歩み出す本作監督の少年時代を描いた実話

2023-01-18 10:00:00

これは、世界で一番の映画ファンだと語る監督自身の少年時代を描いた実話ベースの物語。敬愛する巨匠監督たちへのオマージュと、“映画”への溢れんばかりの愛情がちりばめられた、世界中の映画ファンへ贈る“一編のラブレター”でもある。

本年度アカデミー賞国際長編映画賞インド代表に選出され、世界中の映画祭で5つの観客賞を受賞。バリャドリード国際映画祭では最高賞にあたるゴールデンスパイク賞をインド映画として初めて受賞した話題作だ。

監督を務めるのは、インドのグジャラート州出身者として初の米アカデミー会員に選ばれ、世界中の映画祭で高い評価を受けてきたパン・ナリン。自身が主人公のモデルであり、脚本・プロデューサーも同時に担う。主人公サマイを演じるのは、3,000人の中から抜擢された演技未経験のバヴィン・ラバリ。バヴィンをはじめ、父親役のディペン・ラヴァルや、ファザル役のバヴェーシュ・シュリマリ、サマイの仲間たちを演じた子役たちもみな、グジャラート州の出身者だ。こうしたこだわりによって、監督の幼少期の思い出が詰まった故郷特有の空気感をより忠実に再現したという。

『ニューシネマパラダイス』を想起させるノスタルジックな質感と世界観、映画に魅せられていく主人公の少年、デジタル化される前の映画で使われていたセルロイド・フィルム、映写機の光……どれをとっても映画を愛するシネフィルにはたまらないファクターばかり。

リュミエール兄弟、エドワード・マイブリッジ、スタンリー・キューブリック、アンドレイ・タルコフスキーなど、数々の巨匠監督たちに捧げるオマージュを見つけてみるのも楽しい。

さらには、インドのエンターテイメントに欠かせない、しかし商業映画とは一線を画した音やダンス、カラフルな民族衣装からスパイスたっぷりの家庭料理まで、朴訥さと懐かしさ、エキゾチックなインドの魅力がギュッと凝縮された、宝箱のような映画だ。ちなみに、ボリウッド(=ムンバイの旧名「ボンベイ」+「ハリウッド」)と呼ばれる商業映画はほぼヒンディー語映画だが、本作は日本で初めて一般公開されるグジャラート語の映画である。

最も純粋な好奇心やワクワク、希望や情熱、それらのピュアな感情のエネルギーこそが“不屈の精神”を生み育んでいくという事実を、改めて思い起こさせてくれる本作。疲弊した大人たちの乾いた心に、かつての夢や希望がじんわり沁みわたる。きっと多くの映画ファンにとっての、かけがえのない一作となってゆくだろう。

 

ストーリー

チャイ売りの少年が
恋におちたのは“映画”だった――。

9歳のサマイはインドの田舎町で、学校に通いながら父のチャイ店を手伝っている。厳格な父は映画を低劣なものだと思っているが、ある日特別に家族で街に映画を観に行くことに。人で溢れ返ったギャラクシー座で、席に着くと、目に飛び込んだのは後方からスクリーンへと伸びる一筋の光……そこにはサマイが初めて見る世界が広がっていた。

映画にすっかり魅了されたサマイは、再びギャラクシー座に忍び込むが、チケット代が払えずにつまみ出されてしまう。それを見た映写技師のファザルがある提案をする。料理上手なサマイの母が作る弁当と引換えに、映写室から映画をみせてくれるというのだ。

サマイは映写窓から観る色とりどりの映画の数々に圧倒され、いつしか「映画を作りたい」という夢を抱きはじめるが――。

 

 

パン・ナリン 監督インタビュー


――『エンドロールのつづき』を撮ろうと思ったきっかけと、そのテーマについて教えてください。

本作は、何も所有せず、名もなき場所で生きる、名もなき者を描いた感動の物語です。主人公のサマイは何者かになりたいと願い、夢を抱き始める。私はそんな明るさと無邪気さを称える映画をどうしても作りたかったのです。自然かつ素朴で、時代を問わずに人間本来の生き方を思い出させてくれるような映画をね。

何も持っていないからこそ失うものが何もない。そのような主人公を描いたとてもシンプルな物語です。主人公のサマイは9歳でまだ幼く、誰からも相手にされていません。でも人は何も持っていない時に大きな夢を見たり、それをきっかけに他の人に大きな夢を与えることがあります。サマイも映画と出会い、その素晴らしさに魅了されて人生が一転します。

自慢しているわけではありませんが、実は私は自分以上の映画ファンに出会ったことがありません。私はアンドレイ・タルコフスキー監督から勅使河原宏監督の作品、台湾のポルノ系映画やタンザニアのテレビ映画など、あらゆるジャンルの映画を観ます。映画クラブを運営していて、DVDやブルーレイを35,000点以上も集めました。そして200を超える映画祭に、参加者あるいは審査員として出席してきました。

その冒険の過程で、そして映画を製作するという過程で、私は自分自身、そして映画そのものも大きく変わりつつあるということに気がつきました。そこで、私は自分のルーツである故郷、カティアワル(インドのグジャラート州にある地域)の事を思い出したのです。あの場所で過ごした幼少期はどんなものだっただろうか、と。そして何よりも、数々の映画との出会いとその魔法のような魅力が私の胸の内で渦を巻き、本作が生まれました。

――本作は自伝的な映画ということですか?

全てではありませんが、そうです。映画に登場するサマイと仲間たちの冒険は、私の幼少期そのものです。弁当と引換えに映写室に忍び込んでいたことや、フィルム・リールを盗んで少年院で夜を過ごした事もね。クライマックスのシーンは幼少期の友達や映写技師に捧げる自伝的な思い出です。実際に母も料理上手で、父は田舎町の駅でチャイを売っていました。そこはだだっ広い野原と果てしなく広がる空しかないような場所で、列車以外には遠くの空に飛行機が見えるだけ。その飛行機だけが外の世界とのつながりでした。父は、土地や牛、最後には自分の家までも実の兄弟たちに奪われてしまい、どんどん貧しくなっていきました。あとに残されたのは、駅の横にある小さなチャイのお店だけ。なので私は8歳になるまで映画館に行く機会に恵まれませんでした。そして初めて映画を観たその日に、私の世界は一気に広がったのです。

――本作でオマージュを捧げた映画監督たちの名前を何人か教えていただけますか?

世界で一番の映画ファンを自負する一人として、私の人生や仕事に大きな影響を与えてくれた映画監督たちに賛辞やオマージュを捧げずにはいられませんでした。本作に隠された魔法が減ってしまうのは残念ですが、幾つかだけご紹介しましょう。

最もわかりやすいのは、列車がこちらに向かって到着する冒頭のシーン。最初は白黒で、ゆっくりとカラー映像に変わる。これは明らかに、リュミエール兄弟と、彼らが監督した『ラ・シオタ駅への列車の到着』へのオマージュです。あの映画が、語り手の世界を永遠に変えたのです。そしてサマイの学校の実験室で、プラキシノスコープを通して、走っている馬の画像が数秒間見えるのですが、これはエドワード・マイブリッジへのオマージュです。マイブリッジは連続写真の先駆者で、映画のような画像を作り出した人です。さらに、サマイが映写室にいる時に『2001年宇宙の旅』に似たシーンの反射がサマイの顔にパッと映って消える場面があり、それはもちろんスタンリー・キューブリック監督へのオマージュです。そのすぐ後の、サマイが野原でマッチ擦ってその炎をじっと見つめるシーンは、デヴィッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』に出演しているピーター・オトゥールへのオマージュです。そして最後の、トロッコに乗って線路沿いを走り出す顔をカメラが追うシーンは、私の大好きなアンドレイ・タルコフスキー監督の『ストーカー』へのオマージュです。

――なぜ今、この映画を作ろうと思ったのですか?

数年前までは映画館が隆盛の時代でした。電話はスマートフォンではなく、インターネットでの映画配信サービスもなかった。興行収入だけがすべてではなく、映画が「コンテンツ」と呼ばれる前の時代です。映画館に慣れ親しんで育った私たちにとって、映画がコンテンツという名の商品に成り下がってしまったかのようなこの時代は、とても奇妙でとても悲しい。映画の学校で脚本家や監督を育てれば育てるほど、世界は作りものの感動や、不誠実な方法で感情を操るペテン師で溢れていくように感じます。コンテンツ至上主義になっていて、映画館はただそれを観るための場所にすぎない。だから、手遅れになる前に本作を作らなければならなかったのです。とはいえ、私はポジティブで楽観的なメッセージを発信したいと思っています。物語を伝えるための媒体は常に進化していて、ストーリーの語り手は、その進化についていかなければならない。自分の声を伝えたければ、自身の分身となる媒体自体を更新し続けなければならないのです。

――本作は現代のインドの姿をどのくらい描写していますか?

インドは極端な国です。本作に登場する眠ったような田舎町も現代のインドですが、車で数時間走ると、突然古代と現代、貧困と富が混在する賑やかな近代都市が現れることもあります。日本ではどうなのか分かりませんが、本作でも描いたように、現代のインドでは英語が話せなければ高度な教育を受けてキャリアを積むこと、またビジネスをするチャンスは無に等しいです。本作ではそのような現代インドの複雑さを描きました。

――現代のインドでもカースト制度によって教育の機会や職業は制限されているのですか?

現代のインドでは、カースト制度によって教育の機会や職業が制限されることはなくなりました。この国は、社会のあらゆる階層を受け入れようと、長い道のりを歩んできました。今日では、政治、ビジネス、スポーツの世界などで、下位カースト出身者が高い地位に就いている事も度々あります。


――この映画の音についてお話しいただけますか?

光を捉える、ということを中心に、視覚と音を組み上げていきました。私は会話の有り無しに関係なく、人生は動いていると信じてきました。では映画が人生の模倣だとするならば、なぜ映画の中では絶えずピンポン玉のように台詞が行き交う必要があるのでしょうか?私の作品では自然な音を使い、いつも静寂を大切にしてきました。その結果、10分から12分ほどの沈黙のシーンもありますが、映画の主目的は“物語を伝える”ことのため、その長い沈黙に観客の注意がいくことはありません。会話のないシーンも台詞があるシーンと同じように語りかけることができるということを、私たちは忘れがちです。それに沈黙は台詞よりも全世界の共通語だと思います。観客は、監督が作った世界に一旦感情的に没入すると、そこからはセリフではなく感情で物語を追っていくものなのです。


――サマイのキャスティングでは、どんな課題に直面しましたか?

3,000人もの子供をオーディションしました。サマイとその仲間たちを演じる俳優は皆、私の故郷であるグジャラート州の片田舎の出身であることが絶対条件でした。そうすることで自然な表現ができるはずだと思ったからです。そのような子役たちは、何もないだだっ広い大空の下で育つ感覚を知っているし、グジャラート州の方言も話せます。そして何よりも、派手ではない環境で何も所有せずに育つという、厳しい状況に慣れていなければなりません。そういう育ちだからこそ、ゼロから工夫して何かを作り出すことに対して優れた感覚が身についているのです。子役たちがこれらの特徴を備えていたので、私はキャラクター作りとストーリーテリングに集中できました。サマイ役が決定した後、残りのキャストはとんとん拍子で決まっていきました。

映画館に行ったことのない9歳の子供にとって、サマイ役を演じるのは容易ではなかったと思います。スタッフと私は、まだ幼く経験のない彼に忍耐強く接しなければなりませんでした。この映画は結局のところ、サマイの肩にかかっているわけですから。だからサマイ役のバヴィン・ラバリなしでは、この映画は作れませんでした。

――この映画を観て、観客にどんなことを感じて欲しいですか?

光です!光を持ち帰ってほしい。世界は、これまでにない恐ろしい時代を体験しています。私は語り手として、希望とワクワクするような新鮮な気持ちを皆さんと分かち合いたいのです。地球の美しさを称え、かつては私たちの生活がいかにシンプルだったかということを思い出してほしい。私たちは100年という短い間に、この地球に対して、そして私たちの魂に一体何をしてしまったのでしょうか?私にとって本作は、これらの問いかけについて考える機会なのです。現実に意識を向けるための警報のようなものです。映画の誕生、成長、死、そしてその再生を祝う物語なのです。また自然を讃え、雨、雷、湖、あるいはライオンたちと調和して生きることができる、ということを伝えています。私は観客が感動し、勇気づけられ、最後には色鮮やかな物語の世界に浸ってくれるような、本質的な体験をしてくれることを望んでいます。

 

パン・ナリン Pan Nalin
監督・脚本・プロデューサー

インド共和国・グジャラート州出身。ヴァドーダラーのザ・マハラジャ・サヤジラオ大学で美術を学び、アーメダーバードにあるナショナル・インスティテュート・オブ・デザインでデザインを学んだ。初の長編映画『性の曼荼羅』(01)がアメリカン・フィルム・インスティテュートのAFI Festと、サンタ・バーバラ国際映画祭で審査員賞を受賞、メルボルン国際映画祭で“最も人気の長編映画”に選ばれるなど、30を超える賞を受賞し、一躍国際的な映画監督となった。BBC、ディスカバリー、カナル・プラスなどのTV局でドキュメンタリー映画も制作しており、“Faith Connections”(13・原題)はトロント国際映画祭の公式出品作品として選ばれ、ロサンゼルス インド映画祭で観客賞を受賞した。2022年にグジャラート州出身の映画監督として初めて映画芸術科学アカデミーに加入。他の代表作に『花の谷 -時空のエロス-』(05)、『怒れる女神たち』(15)などがある。

 

道を照らしてくれた人々に感謝を込めて――パン・ナリン

リュミエール兄弟
エドワード・マイブリッジ
デヴィッド・リーン
スタンリー・キューブリック
アンドレイ・タルコフスキー
マンモーハン・デサイ
シャー・ルク・カーン
アミターブ・バッチャン
アーミル・カーン
サルマーン・カーン
ラジニカーント
グル・ダット
カマール・アムローヒー
サタジット・レイ
ミケランジェロ・アントニオーニ
チャールズ・チャップリン
マヤ・デレン
ジャン=リュック・ゴダール
フランシス・フォード・コッポラ
キン・フー
アルフレッド・ヒッチコック
勅使河原宏
イングマール・ベルイマン
フェデリコ・フェリーニ
チャン・イーモウ
小津安二郎
スティーヴン・スピルバーグ
スパイク・リー
ジェーン・カンピオン
クリス・マルケル
ヴェラ・ヒティロヴァ
クエンティン・タランティーノ
黒澤明
リナ・ウェルトミューラー
キャスリン・ビグロー
アレハンドロ・ホドロフスキー

 

『エンドロールのつづき』予告編

 

公式サイト

 

2023年1月20日(金) 新宿ピカデリー、HTC有楽町、シネリーブル池袋、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー

 

CAST

サマイ:バヴィン・ラバリ
ファザル:バヴェーシュ・シュリマリ
母親:リチャー・ミーナー
父親:ディペン・ラヴァル

STAFF

監督・脚本・プロデューサー:パン・ナリン
プロデューサー:ディール・モーマーヤー、マーク・デュール
エグゼクティブプロデューサー:ヤシュ・ゴンサイ、ヘーマント・チョードリー、シュバム・パーンデャ
共同プロデューサー:ヴィルジニー・ラコンブ、エリック・デュポン
撮影監督:スワプニル・S・ソナワネ
編集:シュレヤス・ベルタングディ、パヴァン・バット
キャスティング・ディレクター:ディリープ・シャンカル
美術:パンカジ・パーンデャ、ドゥシャント・クマール、ダナンジャイ・タッカル
音楽:ジル・ベルナドー、ミカエル・バール、ハリクマール・M・ナーイル、リンク・パータク
衣装:シア・セート
作曲:シリル・モーリン
ヘア&メイク:サラ・メニトラ

2021年/インド・フランス/グジャラート語/112分/スコープ/カラー/5.1ch/

英題:Last Film Show
日本語字幕:福永詩乃 G  応援:インド大使館 配給:松竹
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