『ケイコ 目を澄ませて』16mmフィルムに今を映す!聴覚障害を持つプロボクサー・小笠原恵子さんの生き方に着想を得て生まれた物語

『ケイコ 目を澄ませて』16mmフィルムに今を映す!聴覚障害を持つプロボクサー・小笠原恵子さんの生き方に着想を得て生まれた物語

2022-12-14 10:28:00

古いボクシングジム、ケイコの心が軋む音、降り注ぐ光の粒……16mmフィルムにしか表現できないものがあますところなく収められ、その一つひとつが心地よい質感をもった美しい世界観を構築している。

2022年2月のベルリン国際映画祭でプレミア上映されるやいなや熱い賛辞が贈られ、国際映画祭での上映が続く本作。聴覚障害と向き合いながら実際にプロボクサーとしてリングに立った小笠原恵子さんの本『負けないで!』をベースに、新たに生み出された物語である。音のない世界でじっと「目を澄ませて」闘うケイコの姿が、彼女の心のざわめきと共に描かれてゆく。

監督を務めるのは、『Playback』(2012)や『きみの鳥はうたえる』(2018)の三宅唱。主人公・ケイコには、厳しいトレーニングを重ねて撮影に臨んだという、岸井ゆきの。ケイコを見守るボクシングジムの会長には、三浦友和。

この映画を16mm フィルムで撮影したことについて監督は、「一人の映画好きとして16mm フィルムで撮影したいという憧れがあり、チャンスがあればと思っていたところ、この映画にはフィルムの持つ肌触りがマッチすると気付きました。ボクサーの肉体のなまめかしさや、古いジムの空気感や色気をどう捉えるかを考える時、生々しくて温かく、どこかおとぎ話のような雰囲気のある16mmフィルムのテクスチャーが合うだろう考えたんです。簡単にはやり直しができないので、予想以上に全員の集中力が高まり、結果的に画面の隅々まで精度を維持できたように思います」と語る。

印象に残るのは、ケイコのひたむきな美しさ。そして、去来するさまざまな思いを包含した彼女の瞳の奥の輝き。ジムの会長の言葉と、その言葉によって生み出される空気感。

中でもとりわけ、ノスタルジックな風合いを帯びた東京の下町を背景に、曇り空の合間から陽光が溢れ出すように、思慮深く押し黙った彼女の顔がほころぶその瞬間の、自ずと湧き上がってくる美しさが格別だ。それが滅多に起こらない特別な現象であるかのように思えて、目が釘付けになる。

「珠玉の作品」とはまさに、心の琴線に触れる一瞬一瞬で埋め尽くされたこのような映画のことを言うのだろう。

 

ストーリー

不安と勇気は背中あわせ。
震える足で前に進む、彼女の瞳に映るもの――。

嘘がつけず愛想笑いが苦手なケイコは、生まれつきの聴覚障害で、両耳とも聞こえない。再開発が進む下町の一角にある小さなボクシングジムで日々鍛錬を重ねる彼女は、プロボクサーとしてリングに立ち続ける。母からは「いつまで続けるつもりなの?」と心配され、言葉にできない想いが心の中に溜まっていく。「一度、お休みしたいです」と書きとめた会長宛ての手紙を出せずにいたある日、ジムが閉鎖されることを知り、ケイコの心が動き出す――。

 

 

三宅唱 監督インタビュー


──本作を監督されることになった経緯を教えてください。

2019 年の12 月にプロデューサーから、小笠原恵子さんの「負けないで!」という本を岸井ゆきのさん主演で映画化したい、という形でオファーをいただきました。お引き受けすると決断するまでかなり時間をもらいました。理由としては、手話を母語とするろう者の方たちの生活が身近ではなかったので、聴者の自分が監督として何ができるのかその時点では全くわかりませんでしたし、これまでボクシングにも親しみがなく、またボクシング映画は既に数多く撮られ名作も多いので、果たして自分に何か新しいことができるのだろうかと想像もつきませんでした。ただ、僕にとって映画を作るということは、自分の知らない世界について調べたり考えたりすることなので、まずはその時間をくださいと、生意気にもわがままを言って、待っていただきました。

──決心がつかれたきっかけは何ですか?

本を読み、繰り返し考えているうちに、小笠原さんからたくさんのエネルギーをもらえるような気がしたこと、それが大きいです。はじめは自分の知らない世界の話だと思っていたところ、自分と同じ時代、同じ国で生きている彼女が何を感じどう生きているのか、それを知ったり、想像することを通して、「ろう」「ボクサー」という言葉にまつわるイメージが少しずつ変化しました。そして、こう言って良ければそうした側面とは関係なしに、あくまで一人の人間として、あくまで一人のほぼ同世代の方として、小笠原さんに尊敬の念を覚え、親しみを感じ、強く惹かれました。

彼女の生き方について考える時間が、世界の捉え方が少しずつ変化するきっかけになり、また自分自身の生き方も自然と見つめなおす機会になり、それが活力になった気がします。そういう映画を作りたいと常々思っていましたし、映画化にあたって具体的な方針も決まったので、引き受けました。方針とは、たとえば、小笠原さんのライフヒストリーをそのまま再現する形での映画化にはいくつかの理由で抵抗感やリスクを感じたため、「新たにプロットを書くので、それを読んで判断してほしい」とお願いしました。

──新たなプロットは、どのように作られましたか?

僕が着目したのは、プロボクサーになって第2 戦に勝利してから第3 戦までの間の心の移り変わりです。その時期が、青春期以降の人生に訪れる最初の大きな危機だと思いました。一人の20 代後半の人物が、自分の好きなことをこのまま続けていくのか、あるいは別の生き方をするのかという問題です。これは時代や性別など立場を超えて、多くの人に共通する人生の岐路の物語だと考え、そこに焦点を当てました。

コロナ禍が始まったこともあり、思うように取材が捗らない可能性や製作規模がどうなるかも予測がつかず、不十分な再現ドラマになってしまうリスクを考慮した際に、岐路に立った際の小笠原さんの生き方や感情の揺れ動きは普遍的なものだろうという考えを固めて、それを表現することを目標に、小笠原さんをモデルとして、「ケイコ」という新たな人物の物語として再構成しました。また、物理的に完璧な再現が望めない以上、不要な誤解などを生まないために、あえて時代や場所を移し変えて、家族関係や周囲の人物についても伝記的事実から離れて明らかな変更点を作り、フィクションとして新しい物語を書くことにしました。重要なのは、あくまで小笠原さんの生き方や魂のようなものであり、それを最大限表現することでした。

──時代を“今”にされた理由は何ですか?

プロットを書き始めたのが、ちょうどコロナ禍が始まった頃でした。生活環境の変化がろう者にとってどのような影響があるのかというのを日々見聞きするようになったので、それをドキュメントのように反映したいという気持ちがありました。また、時代設定を変えたとしても、小笠原さんの生き方をベースとした「ケイコ」の物語は普遍的なものだろうと信じて、撮影時期そのままの東京の風景とともにケイコたちを捉えたいと考えました。また僕個人の生理的な感覚ではありますが、本作の準備期間のタイミングでは、コロナ禍以前の世界あるいはコロナを無視した世界を創造することに、あまり関心を持てませんでした。

──脚本段階では、どんなリサーチをされましたか?

まずは書籍や映像等で勉強を重ねていきました。直接の取材を重ねることが社会状況的に憚られる時期だったこともあり、もどかしさもありましたが、その分、古今東西の知見の蓄積に広く、長い時間をかけて触れられたようにも思います。その後、東京都聴覚障害者連盟に伺ってレクチャーを受け、様々な疑問点をお聞きし、意見交換を重ねました。

手話表現に関して、本作ではろう者間の手話とろう者と聴者間の手話とがあり、その両方について東京都聴覚障害者連盟の越智大輔さんと堀康子さんの監修と指導を、また後者については手話アイランドで聴者の手話話者として活動されている南瑠霞さんにも指導をいただきました。また、手話をしない多くの場面についても、僕が何をどう捉えどう演出すべきか、多くの示唆をいただきました。

ボクシングについては、トレーナー役としても出演している松浦慎一郎さんにご指導いただき、基礎の基礎から質問させてもらい、自分もジムで体を動かしながら、映画におけるボクシングについての考え方をブラッシュアップしていきました。

──撮影前に、岸井ゆきのさんとは、どんなお話をされましたか?

クランクインの3 か月前から、僕も一緒にボクシングの練習に取り組んでいたので、撮影前にお会いする機会は多かったのですが、役のことや映画のことを話すというよりも、とにかくボクシングを真剣にやるということに集中していました。ろう者を演じることについても同様です。まずは体で、その後に言葉ですり合わせていく、という流れだったように思います。最近みた映画や念頭にあった映画の話などをしたこともありましたが、たとえば縄跳びのコツを模索し合うとか、重心の意識の仕方だとか、そういうごく具体的な話をたくさんしたことが印象に残っています。

──ボクシングの基礎から学ばれたのですね。

そうです。何も知らないど素人の僕に、松浦さんが本当に真剣に、徹底的に向きあってくれました。それから思い出深いのは、タッチマスという、本気で戦うのではない試合形式の練習で、岸井さんとリングに上がっていた時のことです。僕と岸井さんでは体格差もありますし、彼女が打つに任せて僕はガードに徹していたんですが、岸井さんから「なぜパンチを打ってこないんですか? 本気できてください」とまっすぐ言われました。気を遣っているつもりが、スポーツにおいて真剣にやらないのはリスペクトに欠ける行為だと、岸井さんとのやり取りで体感できました。そういう風に僕が感じたことを、練習後に言葉に変換して確認し合うことで、最終的に役や映画そのものに反映されていったと思います。

──三浦友和さんとは、どんなお話をされましたか?

三浦さんから、撮影前にとことん話し合おうと言っていただきました。三浦さんが出ていないシーンに対する疑問なども含めて、本当にジムの会長のように映画全体を見渡してくださいましたね。三浦さんとのやり取りからたくさんのヒントをいただき、脚本も書き変えました。撮影の直前に、「ようやくこれでスタート地点に立てた気がします」という風におっしゃっていただいたので、安心しつつ、気を引き締めつつ、クランクインしました。

──どんな現場でしたか?

全員が岸井さんを真剣にみつめ、吸い寄せられ、また引っ張られるようにして、1ショット1ショットを丁寧に積み重ねていくという現場でした。さらに、三浦さんがご自分の出番がなくても、カメラや照明などをセッティングしている間も、静かに立って全体を見つめてくださっている。緊張感と、全員で一緒に物を作っているんだという興奮が混ざり、いい時間だったと思います。スタッフも全員マスクをしていますので、相手の目を互いにみてコミュニケーションを取る機会が増え、自然とグルーヴ感が生まれていったようにも思います。

──ろう者の役者の方も出演されていますね。

はい、山口由紀さんと長井恵里さんです。浅草の墨田川が見えるカフェで、ケイコの同級生役を演じています。このシーンからクランクインしたことは、本作にとって重要なことだったと思います。テストを重ねていくうちに、お二人の手話のスピードがほんのすこし遅くなったように感じたので、それを伝えたところ、「確かに普段よりも遅く、演技していたかもしれない」「普段の速度に戻してほしいです」というようなやりとりを経て、最初のテイクの本番に入ったことを覚えています。心から大好きなシーンの一つです。

──そのシーンには、テロップを入れていませんね。

はい。ろう者同士が会話するという場面でしたので、手話だけを見るのがいいだろうという考えです。ちなみに、岸井さんはその会話に手話で参加しておらず、あくまで受け手に回っています。また、ケイコのお母さんや弟や仕事先の同僚など、聴者の手話話者が登場する場面では字幕を入れている、という違いがあります。そのあたりは、監修のみなさんとも意見交換を重ねて検討しました。

──本作には劇伴がありません。その意図を教えてください。

本作ではまず、聴者がもし音を消して鑑賞したとしても、物語の理解やエモーションの伝達が損なわれないような演出やカット割を模索していました。なるべく音声情報や音楽に頼らずに語るということです。そのため、劇伴は大抵の場合、観客の感情を誘導する働きがあり、聴者とろう者の受け取る情報に大きな違いが出るので、それはなるべく避けるという方針を事前に立てていました。

その上で、環境音については、聴者の観客が、普段は当たり前に感じている“音が聞こえる”ということを改めて意識し、またケイコにはこの音が聞こえていないということを意識するような音の設計を考えました。

前提として、聴者の僕には、音のない世界を「想像し直し続ける」ことはできるかもしれないけれど、「わかる」なんてことは決してあり得ないと思っています。なので、たとえば、主観ショットで音を消すなどの、いわば観客が追体験するような表現もあり得たかもしれませんが、それではなんだか「わかった気になる」だけのような気がし、選択しませんでした。聴者の僕にできることは、自分や周囲の多くが聴者であることを何度も自覚すること、そうではない人がいることを意識し続けること、そんな点から一つずつ進める必要があるだろうと考えていました。

──それは、どの段階から考えられたのですか?

劇伴なしは、監督を引き受ける以前に直感的に思いついたことです。その後、音についての大方の方針を固めてからオファーに返事をし、脚本段階で具体化していきました。ケイコが立っているその場所ではどんな音が鳴っているのか、サウンドのシナリオのようなものを設計し、ロケハンで録音の川井崇満さんらと検証していきました。

また、完全に音楽が存在しない世界というのも不自然だろうと考え、ケイコには聴者の弟がいてミュージシャンであるという設定を作っています。これは小笠原さん本人の家族構成とは異なる部分です。

──タイトルに込められた意味を教えてください。

編集中に、これは主人公の名前をタイトルに冠すべき特別な作品ではないかという考えに至りました。そのような作品を、岸井さんも僕も、今後の人生でまた撮れるかどうかわかりません。ただ、『ケイコ』だけではなくサブタイトル的な言葉もほしいとプロデューサーサイドから相談があり、僕から「目を澄ませて」というフレーズを提案しました。説明すると多少野暮になってしまいますが、まずボクサーと手話話者には「目」を見ることが共通していますし、コロナ禍を生きる我々の多くもお互いの「目」を見ることを日々実感していると思います。それから、我々人間はどうしたって先入観や偏見というものを持ってしまう生き物だと僕は思っているのですが、その上で、この映画を通して何か新しいものが見えればうれしいなと願い、「澄む」という言葉を選びました。

──確かに“目を澄ます”と、ケイコの心が見えてきます。

心そのものは目に見えませんが、常に静かに波打っていて、それが音声言語や手話言語や文字として表に現れたり、あるいは言葉では表現しきれないようなことは様々な形で全身や表情に現れ、まるで目に見えるかのように感じることがあると思っています。映画館の大きなスクリーンで人をじっと見つめることは、それ自体が面白くてスリリングな経験です。日常では見逃してしまうかもしれないごく小さな心の波や、どんな言葉にもできない何かが、映画館では繊細に感じることができると思います。それを信じて作った映画です。ケイコの人生と、観客の皆さんそれぞれの人生が、出会うことを願っています。

 

『ケイコ 目を澄ませて』予告編

 

公式サイト

 

2022年12月16日(金) テアトル新宿、アップリンク京都、ほか全国順次ロードショー

 

キャスト

岸井ゆきの
三浦誠己 松浦慎一郎 佐藤緋美
中原ナナ 足立智充 清水優 丈太郎 安光隆太郎
渡辺真起子 中村優子
中島ひろ子 仙道敦子 / 三浦友和

スタッフ

監督:三宅唱
原案:小笠原恵子「負けないで!」(創出版)
脚本:三宅唱 酒井雅秋
製作:狩野隆也 五老剛 小西啓介 古賀俊輔
エグゼクティブプロデューサー:松岡雄浩 飯田雅裕 栗原忠慶
企画・プロデュース:長谷川晴彦
チーフプロデューサー:福嶋更一郎
プロデューサー:加藤優 神保友香 杉本雄介 城内政芳
French Coproducer: Masa Sawada
撮影:月永雄太 照明:藤井勇 録音:川井崇満
美術:井上心平 装飾:渡辺大智
衣裳:篠塚奈美 ヘアメイク:望月志穂美 遠山直美
ボクシング指導:松浦慎一郎 手話指導:堀康子 南瑠霞
手話監修:越智大輔 編集:大川景子
音響効果:大塚智子 助監督:松尾崇 制作担当:大川哲史
製作:「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会
助成:AFF 制作プロダクション:ザフール
配給:ハピネットファントム・スタジオ

2022 年/日本/99 分/カラー/ヨーロピアンビスタ(1:1.66)/5.1ch デジタル/G

©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS