『窓辺にて』「妻が浮気したのに、怒りが湧かなかった男」の物語
『窓辺にて』は、「妻が浮気したのに、怒りが湧かなかった男」の物語である。稲垣吾郎演じる市川茂巳は現在フリーライターでかつて小説を発表しており、今は書いていない「書きたいのに書けない人」ではなくて、もう自分の中である種の満足を得てしまった元・作家という設定である。
今泉力哉監督曰く「もしかしたら市川の書かなくなった小説家という設定と、長い間、国民的アイドルとして活躍してきた稲垣さんの心象が、図らずも重なった部分もあったのかもなあと」。
市川茂巳と、編集者である妻・紗衣(中村ゆり)の夫婦が暮らすリビングルームは全く生活感のない部屋で、そこは真っ白の舞台のようで、本来、夫婦の感情が互いに交わされる場であるはずが、ミニマルなインテリア同様、ミニマルな感情しか交わされない。
これを、大人のラブストーリーと呼んでいいのか、等身大の恋愛感情と呼んでいいのか、好きという感情そのものを深く掘り下げる舞台と呼んでいいのかは迷うところがあるが、確かなことは夫婦が住むリビングは、稲垣吾郎演じる市川茂巳を観察するには最も相応しい舞台だといえるだろう。
本作は、先頃開催された東京国際映画祭のコンペティション部門に出品され「観客賞」受賞した。受賞にあたって、今泉監督は以下のようなコメント発表した。「私の作品はすごく個人的な悩みというか、本当に小さな悩みを描いていて、特に恋愛映画をずっと作り続けています。世界には戦争やジェンダーなど、さまざまな問題があるなかで、本当に小さな、映画の題材にならないような、とるにたらない悩みや個人的な問題を、恋愛を通じて、笑いも含めて描こうと思い、いままで、映画を作り続けています」。
今泉力哉監督インタビュー
──まず企画の成り立ちを教えてください。
私の監督作『愛がなんだ』と、稲垣吾郎さんが主演された『半世界』(監督:阪本順治)が2018年の東京国際映画祭のコンペティション部門に同時に選出されて。もしかしたらそれをきっかけに稲垣さんが私の存在を知ってくださったのかなと。そのあと、稲垣さんが雑誌『anan』(マガジンハウス刊)の連載「シネマナビ!」で、『his』や『街の上で』など私の作品を取り上げてくださったんですね。さらにコロナ禍に入ってからの「ゴロウの部屋」という特別企画で、リモート対談にお誘いいただいたんです(2020年7月1日号No.2206〜7月22日号No.2209全4 回掲載)。
──そういう前段階があったと。
はい。それで稲垣さんと今泉を組ませよう、という方々が企画を立ち上げてくれたという経緯ですね 。
──今回は今泉監督のオリジナル脚本ですが、お話の着想としては?
稲垣さんを主人公にしてどんな話を書こうかと思った時に、実は私の側に約10年前……2011年か12年くらいから眠らせていたアイデアがあって。「妻が浮気したのに、怒りが湧かなかった男」という物語なんですけど、それが今回のベースになりました。当時、私自身が「もし奥さんが浮気したら、俺、怒れるかな?」とふと思っちゃったことがあっ て。これは妻の浮気だけに限ったことじゃなくて、別に感情に蓋をしているわけではないんですけど、幼少期から喜怒哀楽をどっかわかりやすく外に出せない、みたいな感じがあって。 例えば卒業式でみんな泣いているけど、自分は全然泣けなかったり。あと2011年にモト冬樹さん主演で『こっぴどい猫 』という映画を撮ったんですが、それは 「妻に先立たれてから一切小説を書かなくなった」作家の話なんです。今回の『窓辺にて』も主人公像は40代以上の大人の男性がいいと思っていて、さらに「稲垣さんだったら、あのアイデアを今回使えるかも」と。稲垣さんって喜怒哀楽を過剰に出すタイプじゃなく、いつも穏やかな空気感を醸し出しているイメージがあったので。またその一方 で、映画で悪役を演じるとゾッとするような怖さがあったり。ある種の謎めいた得体の知れなさを複雑に秘めている方じゃないかなと思ったんですね 。
──稲垣さん演じるフリーライターの市川茂巳は、かつて将来を嘱望される新進作家でしたが、デビュー作を残して一切小説を書かなくなった男という設定です。
つまり「書きたいのに書けない人」ではなくて、もう自分の中である種の満足を得てしまった元・作家 。小説とか映画とか、何でもそうですけど、活動をやめちゃったり、モチベーションをなくしたりすることって、世間ではよくないこととして扱われるけど、そんなことないと思っていて。実は「次がつくれる」のって、たぶんつくっていく中で「まだ満足していない」からなんじゃないかなって思うんです。もし本当に満足しちゃったら、もう次の作品をつくる必要もないよなあと。あとは「手放す」というテーマですね。それは劇中の、久保留亜(玉城ティナ)の小説『ラ・フランス』の中でも描いていることなんですけど。「手放す」とか「あきらめる」とかを一面的にネガティヴに捉えるんじゃなくて、ポジティヴな行為として描けないかなと。「後悔」とか「挫折」に関しても肯定的に捉えてみることに興味がありました。それは一生懸命やったことの証拠でもあるから。
──稲垣さんは、この市川にすごくハマってますね。
それは嬉しいです。実際、すごく魅力的に演じてくださいました。まず、稲垣さんが私の作品をよく観てくださっていて、深い理解があったので、「今泉映画」の温度感やトーンの芝居を意識してくださったんだと思います。主人公像としては、市川って通常なかなか理解できなくてもおかしくないような人物だと思います。感情の動き方も独特ですし。ただ、衣装合わせではじめてお会いした時に、稲垣さんは「自分が知ってる感情だ」と言ってくださったんですね 。もしかしたら市川の書かなくなった小説家という設定と、長い間、国民的アイドルとして活躍してきた稲垣さんの心象が、図らずも重なった部分もあったのかもなあと。「理解なんかされないほうがいいことも多いよ。期待とか理解って時に残酷だからさ」という台詞があるんですけど、きっと私なんかにはまったく計り知れない様々な感情や葛藤、多くの人々の期待に応え続けてきた稲垣さんがあの台詞を口にするのを撮っている時はなんだかドキドキしましたね 。ご本人の言葉じゃないにしても。
監督プロフィール
1981年生まれ、福島県出身。2010年『たまの映画』で商業監督デビュー。近年の主な監督作品に『愛がなんだ』(2019)、『アイネクライネナハトムジーク』(2019)、『mellow』(2020)、『his』(2020)など。2021年には『あの頃。』『街の上で』『かそけきサンカヨウ』と3作品を立て続けに公開。また、キングオブコント2021のオープニング映像、ドラマ「有村架純の撮休」や「時効警察はじめました」の演出を手がけるなど、映画以外にも活動の場を広げている。最新作『猫は逃げた』(2022)が公開中。
ストーリー
フリーライターの市川茂巳(稲垣吾郎)は、編集者である妻・紗衣(中村ゆり)が担当している売れっ子小説家と浮気しているのを知っている。しかし、それを妻には言えずにいた。また、浮気を知った時に自分の中に芽生えたある感情についても悩んでいた。ある日、とある文学賞の授賞式で出会った高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)の受賞作「ラ・フランス」の内容に惹かれた市川は、久保にその小説にはモデルがいるのかと尋ねる。いるのであれば会わせてほしい、と…。
予告編
公式サイト
11⽉4⽇(金) アップリンク吉祥寺、アップリンク京都ほか全国公開
監督・脚本:今泉力哉
出演:稲垣吾郎、中村ゆり、玉城ティナ、若葉竜也、志田未来、倉悠貴、穂志もえか、佐々木詩音、斉藤陽一郎、松金よね子
音楽:池永正二(あらかじめ決められた恋人たちへ)
主題歌:スカート「窓辺にて」(ポニーキャニオン/IRORI Records)
2022年/日本/143分/英題:by the window
配給:東京テアトル
©2022「窓辺にて」製作委員会