『川っぺりムコリッタ』は日常の中にあるささやかな幸せや人との繋がりを思い出させてくれる
「ささやかな幸せを見つけていけば、何とか持ちこたえられる」
コロナウイルスの流行や、思わず耳を疑うような事件、事故。心が苦しくなるようなニュースばかりが日々流れてくる。ネットのおかげで簡単に人と繋がれるはずなのに、孤独感を強めている人は増えている、そんな時代。どんなに絶望するようなことがあったとしても、映画『川っぺりムコリッタ』は、誰だって一人じゃないと教えてくれる。
「ムコリッタ(牟呼栗多)」とは、仏教における時間の単位の一つで1/30日=48分のこと。耳馴染みのない言葉がつけられた「ハイツムコリッタ」で暮らす住人たちは、みんなどこか変わっている。そんな彼らの共通点としてあるのが、“死”である。主人公の山田は、物語の序盤で父親が孤独死したことを役所から知らされる。明るくしたたかに見える大家の南さんは、最愛の夫を亡くしている。死というものは、少なからず不意に訪れるものであり、とどのつまり生と死の境目は曖昧である。それは「空の色が青から紫に変わってゆくほどのもの」であって、そんな生と死の間にある時間を荻上監督は「ムコリッタ」という時間の単位に当てはめたという。
とある秘密を抱えて「ハイツムコリッタ」にやってきた山田は、人生に絶望して人との関わりを避けようとしていた。しかし、彼が望んだ静かなひとときも束の間、隣の部屋の住人である島田が図々しく風呂を貸してほしいと頼み込んでくる。それをきっかけに、島田は毎日のように山田の部屋にやってきては風呂に入り、一緒にご飯を食べるようになる。代わり映えはしないけれど、島田が育てた採れたての野菜や炊き立てのご飯の美味しさを噛みしめることで、山田はそこにあるささやかな幸せに気付き始める。ハイツの住人たちも、実はみんな心のどこかに闇を持っていて苦しんでいるけれど、それでも日々の中にささやかな幸せを見出して生きている。彼らとの交流を通して、山田はそんな人間らしさを少しずつ取り戻していく。
本作では、動物や植物、食べ物が印象的に描かれている。怠惰に寝そべっている山田と、その横に置かれた瑞々しいキュウリやトマトの対比は見事である。時に、人間は小さな命を粗末にしてしまうことがある。他でもない山田も腕を刺してきた蚊を叩き、道端のナメクジに唾を吐いた。意識していなかったような過ちも、きっといつかは回りまわって本人のところに返ってくる。場合によっては、ひどく苦しめられることもあるだろう。それでも『川っぺりムコリッタ』は、苦しみながら前に進んでいくことはあまりに人間らしいことであって、周りにはそのために手を差し伸べてくれる人がいるということを、温かみのある演出と俳優陣による説得力のある演技によって物語っているような気がしてならない。
荻上直子監督インタビュー
――『川っぺりムコリッタ』は、ご自身が書いた小説が原作ですね。
実は、最初から映画にするつもりで脚本を先に書いていました。けれど、製作がなかなか進まなかったので、その間に小説を書いたんです。なので通常の小説の映画化とは違うかもしれません。
――刑務所から出てきたばかりの孤独な青年・山田とアパートの住人などとの交流を通して社会との接点を見出していく物語ですが、そもそも脚本を書く起点はなんだったのでしょうか?
NHKの「クローズアップ現代」の“ゼロ葬”についての特集( ※「あなたの遺骨はどこへ~広がる“ゼロ葬”の衝撃~ 」2016年放映)を見て、どこにも行き場のない遺骨がかなりあるということを知り、興味を持ちました。そこで見たことがずっと頭に残っていました。かっちりプロットを決めて書くタイプではなく、最初と最後だけぼんやりとしたイメージがあって、そこから書いていくのですが、“ 骨”については表現したいという気持ちは最初からありました。
――亡くなった方の送り方や“葬儀”は、この映画の大きなモチーフのひとつですね。リサーチはかなりされたのでしょうか。
「クローズアップ現代」でも遺骨の話しが出てきました。例えば、誰かが亡くなって役所の人が、疎遠になっているその方の妻に連絡すると「いらないからその辺に捨てちゃって」とかいったりする。役所にいくと、引き取り手のない遺骨の箱が並んでいて、そういう人のための葬儀屋もあります。これらは衝撃的でした。山田は、生きることに対して貪欲ではなく、いつ死んでもいいと思っている人ですが、私自身も、この主人公に似ている部分があります。30歳になったときに、少なくとも60歳まで生きるとしても、まだまだこの後30年も生きなければならないのか、と山田と同じように思いましたし、自分が死んだあとは、その辺に骨を撒いて捨ててくれてもいい、と思っています。
――「ムコリッタ」は、仏教における時間の単位のひとつで1/30日を表すそうですが、この言葉をタイトルに引用した理由はなんですか?
タイトルに迷っていたときに、国語の教師をしている高校時代からの友人に脚本を読んでもらい、彼女が考えてくれました。それまでは、私自身も「ムコリッタ」という言葉も聞いたことがなかった。その時間的な解釈がこの映画にぴったりだと思って、そのまま採用しました。
――舞台となるアパート「ムコリッタ」は、川の近くにあります。山田もセリフで「川の側に住みたい。なぜなら災害を日常に感じ、生命のギリギリを感じていたいから」といいます。荻上監督にとって川は、何を表しているのでしょう?
私は多摩川の近くに住んでいるんですが、台風が来ただけで、ホームレスの方が流されたり命を落してしまうこともある。川辺で危ない目に遭うということが、かなり身近にあります。数年前に多摩川が氾濫したときも、ウチにも避難勧告が来ました。でも不思議なことに次に引っ越しをするとしてもやはり川辺に住みたいと思うんですよね。実は、この小説を出版した際に写真を提供してくださった写真家の川内倫子さんも、ずっと川辺に住んでいるとおっしゃっていた。なにか特別なものを象徴しようとしたわけではないんですが、どうしても水の流れに人は惹かれてしまう何かがあるのではないかと思うんです。
ストーリー
山田(松山ケンイチ)は、北陸の小さな街で、小さな塩辛工場で働き口を見つけ、社長から紹介された「ハイツムコリッタ」という古い安アパートで暮らし始める。無一文に近い状態でやってきた山田のささやかな楽しみは、風呂上がりの良く冷えた牛乳と、炊き立ての白いごはん。ある日、隣の部屋の住人・島田(ムロツヨシ)が風呂を貸してほしいと上がり込んできた日から、山田の静かな日々は一変する。できるだけ人と関わらず、ひっそりと生きたいと思っていた山田だったが、夫を亡くした大家の南(満島ひかり)、息子と二人暮らしで墓石を販売する溝口(吉岡秀隆)といった、ハイツムコリッタの住人たちと関わりを持ってしまい…。図々しいけど、温かいアパートの住人たちに囲まれて、山田の心は少しずつほぐされていく―。
荻上直子監督
1972年、千葉県生まれ。1994年に渡米し、南カリフォルニア大学大学院映画学科で映画製作を学び、2000年の帰国後に制作した自主映画『星ノくん・夢ノくん』がぴあフィルムフェスティバルで音楽賞受賞。2004年に劇場デビュー作『バーバー吉野』でベルリン国際映画祭児童映画部門特別賞受賞。2006年『かもめ食堂』が単館規模の公開ながら大ヒットし、拡大公開。北欧ブームの火付け役となった。以後ヒットを飛ばし、2017年に『彼らが本気で編むときは、』で日本初のベルリン国際映画祭テディ審査員特別賞他、受賞多数。また、ドラマでは、2021年4月より放送されている中村倫也主演のドラマ『珈琲いかがでしょう』(テレビ東京)がある。
予告編
本編映像+予告編
公式サイト
9⽉16⽇(金) アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
監督・脚本:荻上直子(『かもめ食堂』、『彼らが本気で編むときは、』)
出演:松山ケンイチ、ムロツヨシ、満島ひかり、江口のりこ、黒田大輔、知久寿焼、北村光授、松島羽那、柄本 佑、田中美佐子、薬師丸ひろ子、笹野高史、緒形直人、吉岡秀隆
2021年/日本/120分
配給:KADOKAWA
© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会