ホドロフスキーの”サイコマジック”映画特集
アレハンドロ・ホドロフスキー監督の『ホドロフスキーのサイコマジック』には、彼の初期作品『エル・トポ』から『エンドレス・ポエトリー』までの映像を引用しつつ、サイコマジックを実際に行った人々を取材したドキュメンタリー。この映画を観るとホドロフスキーの全てがサイコマジックの手法を使った映画の表現であることが証明される。
「サイコマジック」とはホドロフスキーが考案した心理療法である。本作では自身のこれまでの作品での映像表現が、いかに「サイコマジック」という技法によって貫かれているかを解き明かしていく。実際にホドロフスキーのもとに悩み相談に訪れた10組の人々が出演し、「サイコマジック」がどのように実践され、作用しているのかを描く。
ホドロフスキーは、自身をフロイトと対置した上で、「サイコマジック」は科学が基礎とされる精神分析的なセラピーではなく、アートとしてのアプローチから生まれたセラピーであると語る。長年にわたり個人のトラウマに応答する一方、本作後半で社会的な実践「ソーシャル・サイコマジック」を展開する様子は圧巻!
サイコマジックとは
(アレハンドロ・ホドロフスキー著『サイコマジック』国書刊行会刊、序文より抜粋)
精神分析とは、言葉を使って心の傷を癒やすことだ。“患者”という名の相談者は椅子やソファに座り、精神分析医が患者に触れることはない。彼や彼女の辛い症状から解放されるために、彼らが求められることは、夢を思い出すことであり、過去の失敗や事故に焦点を当て、 言葉を意志から引き離して、心に浮かぶままに任せて、書き出すことを求められる。長い混乱した独白の後、セラピストは患者の記憶の奥底に眠っていたものを蘇らせる。
無意識で発せられたメッセージを合理的な筋道に変換することで患者の治癒を助ける精神分析医は、患者が自身の症状の原因を発見しさえすれば、患者はそれらを排除できると思いこんでいる。しかし、ことはそこでは終わらない。無意識の衝動が現れた時、その衝動を満たすことでのみ、開放することができるのだ。
サイコマジックは話すだけでなく、行動を起こすことを提唱している。相談者は精神分析の方法論とは正反対な道を辿り、無意識に合理的な言語を話すことを強いるのではなく、言葉だけではなく、行動やイメージ、音、臭い、味、触覚などで構成されている無意識の言語があることを学んでいく。無意識というのは、記号的な、あるいは隠喩的な不確かなものを許容することができる。
『ホドロフスキーのサイコマジック』予告編